TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。星加 海「たくさんの人と巡り合い「喜び」を届け続けたい」

着用ウィッグ:ステラミディ

生まれつき乏毛症を抱え、着物に合わせてウィッグを着用したことをきっかけに、30歳でウィッグデビュー。
現在は壁画家として、世界各地で制作活動を行い、定期的に個展を開いている。

わたし、乏毛症だったんだ

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私は生まれつき天然パーマで、ウィッグは当たり前のように私の体の一部。

ある日、5歳の娘が「私のママ、髪の毛取れるんだよ」ってこっそりと、でもちょっと自慢げに友だちに話してたんです。家に帰ってからもそのシーンが頭から離れなくて。でも、「人前で言わないでね」って言うと、隠さなきゃいけないことなんだってネガティブなことを言ってるみたいになってしまう気がするし。娘に何て説明したらいいんだろう?

説明するにはきちんと理解しておこう、マイナスに考えないために勉強しよう、そう思い調べていた時に辿り着いた当事者さんのサイト。
そこには「生まれつき毛髪が少ない・伸びない・縮れ毛などの症状を持つ先天性毛髪疾患」とありました。
そこにある数々の写真を見て「私と一緒だ」と思わず声を上げてしまうほど驚きました。
子どもたちの写真も、まるで私の小さい頃のよう。
初めて「乏毛症」という言葉を知った瞬間でした。

生まれつき天然パーマ

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幼少期から絵を描くことが大好きで、いつも絵を描いて過ごしていました。母が私の絵を見て喜んでくれることが大きかったかな。
一番心に残っているのは5歳の時、私が描いた亀の絵を見た母が「上手だね。もっと描いて」と褒めてくれたこと。うれしくて「次は何描いてほしい?」って聞くと、母からは「キリン」という答えが。キリンは首が長いから紙が足りないよ、そんなことを思っていると、母は紙をつなげると描けるんじゃない?と教えてくれて。
それがまたうれしかった。後ろにも色を塗ってみたらとか、この色とこの色を混ぜると違う色になるかもね、と母からの言葉にどんどん夢中になっていきました。描けば描くほど母は喜んでくれて、あっという間に部屋の壁が動物園になりました。

小学生になると、学校から帰宅したら絵を描きながら母の帰りを待つ、それが私の日課となりました。その頃から「生まれつき天然パーマ」という言葉がいつも側にあった気がします。アフロのような髪の毛はどこにいても目立つので、ちゃんとしなきゃいけないという思いも強かったな。
クラス替えはいつも緊張しました。初めて会う子から「頭どうしたの?」と聞かれるとつらかった。いつも「天然パーマなんだよ」と言うしかなくて。スカートやワンピースがあまり好きじゃなかった。私には似合わない、そう思っていました。

でも、その気持ちが大きく変わる出来事が起こったんです。中学2年生の時、友人が「髪の毛結んだらかわいいよ」と言って、私の髪の毛を2つに分けて結んでくれたんです。カーラーを持ってきて、前髪も作ってくれて。しばらくすると「完成!」とうれしそうに鏡を手渡す友人。恐る恐る覗き込む私。「私、こんな髪型できるんだ」まるで違う人になったようでした。
制服ってイマイチだなと思っていたけれど、これだとしっくりくると思えた。それからは放課後に、友人と髪飾りやアクセサリーを一緒に買いに行くようにもなったんですよ。世界が広がった気がしてうれしかったな。

放浪画家

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ずっと絵を描くことが好きだったけれど、美術の時間は嫌だった。授業でやらないといけないことと、自分のやりたいことが違うことが多くて。自分の思い通りに描くといつも先生から「これは点数つけられないよ」と言われました。私は描きたいように描いただけなのに。

ちょうどフリーペーパーが流行り出した頃でした。出版社を通さず、作りたい人達が集まって、自分たちのことを発信する雑誌のようなものです。友人が私の絵を見て「持って行ったら載せてもらえるんじゃない?」と言ってくれたんです。なんて素敵な提案なんだろう。私はすぐに編集者の方に連絡を取り、絵を抱えて飛んで行きました。私の絵が私の知らない誰かに届くかもしれない。想像するだけでワクワクしました。

そしてそれはすぐに現実となりました。「この作品はもっと色んな人の目に触れるべきだよ!」そう言って編集長は私を仲間として迎え入れてくれたんです。母が喜んでくれた私の絵が、世に飛び出した瞬間でした。

絵を発信する喜びを得た私は、20歳になり壁に絵を描くアルバイトをしていました。ある日、通りがかりの人から「この絵はどれくらい持つの?」と聞かれたんです。自分の絵がどれくらい持つのか考えたこともなかった。ペンキで描いた絵だと、よく持って5年ほど。
その言葉をきっかけに、1000年も残るフレスコ画を描いてみたいと思うまでに時間はかかりませんでした。

壁画の原点と言われ、ヨーロッパの礼拝堂などに描かれているフレスコ画。イタリアでフレスコ画を描いている日本の方がいることを知り「教えて欲しい」と手紙を書きました。
1か月経った頃、待ちに待ったお返事が届きました。それから文通が始まり、1年の時を経て「良かったらイタリアにきてみませんか」とお誘いのお手紙をいただいたんです。青色がどこまでも続くイタリアの空のもと、先生の家に泊まり、フレスコ画を一緒に制作させてもらいました。チーズ農家と花屋さんの壁。花屋さんの壁は3メートルもあり、地元の新聞にも取り上げてもらったんですよ。

自分が魅了される作品に出会ったら、世界中どこへでも飛んで行きます。バリ島、イタリア、スペインあちこちで描き、帰国したら個展を開く。それが私のスタイルです。

30歳の時、銀座松屋で個展を開きました。いつもより大きな個展だったので、着物を着ようかな「それならウィッグもいいんじゃない」とふと思ったんです。
年齢を重ねるとともに毛量が減ってきていることが気になっていました。1本1本も切れてしまうことが多く、長さもどんどん短くなってきていました。

日常的にウィッグを使いたいと思いつつも、使い始めるタイミングが見つからず悩んでいました。これはいいタイミングだと思い、ウィッグデビューしました。
これを機にウィッグとの生活が始まり、今では私の体の一部。ウィッグってマイナスなことに思われがちだけれど、全然そんなことなかった。洋服を着替えるように、ウィッグも着替える。私の世界はまた大きく広がりました。

私と絵と乏毛症

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今ではウィッグは私の生活の中で当たり前のアイテム。洋服や、眼鏡と同じ感覚。だからあえて説明するという意識もあまりないのかもしれない。5歳の娘から「なんでママの髪取れるの?」と聞かれた時に、ハッとしたんです。
伝えるためにまずは自分自身で理解しようと思い、調べている時に当事者さんのサイトに出会いました。生い立ちや写真まで、まるで自分のことが書いてあるようでした。

「わたし、乏毛症だったんだ」
そこに写る子どもたちの姿が自分の幼少期と重なりました。懐かしく、愛おしい、あの頃の私。

絵の楽しさを教えてくれた母。乏毛症を知るきっかけをくれた娘。
これからもたくさんの人と巡り合い、私の世界が広がり続けるのだと思います。
私は作品を通して、喜びを届け続けられたらいいな。

writer:Naka Kokoro

メッセージ

髪のこと気になってLINEASTORIAさんのウィッグに出会えたならもっと素敵な自分が待っています