TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。サヤ「家族全員の支えで「一人じゃない」と思えた」

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着用ウィッグ:天使のコフレ

32歳で乳がんと診断され、治療の過程でウィッグと出会う。
二児の母として忙しい毎日を送りながらも、SNSを通じて日々の暮らしや子育ての様子を発信している。

入院初日に読む手紙

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乳がん手術のため入院をした日、病室へ到着してカバンを開けると中に手紙を見つけました。「入院初日に読む手紙」「手術前に読む手紙」「手術が終わったら読む手紙」「暇なときに読む手紙」まであって、全部で7通。いつの間に入れたのか、夫からの手紙でした。
「入院初日に読む手紙」を開いてみると、普段は「サヤちゃん」と呼ぶのに「サヤさん」と書いてあり少し照れくさくなりました。

「術前の抗がん剤治療では、どんなにつらくても家族に心配させまいと気丈に振る舞っている姿を見て改めて尊敬しました。」
そんな風に見てくれていたんだ。病気になってからの私はいつも自分のことでいっぱいいっぱいだった気がする。夫や周りの人たちを巻き込んでしまっているという思いも強かったから「尊敬しました」という言葉に思わず涙が溢れました。

夢であってほしい

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私たちは4回目の結婚記念日を迎え、娘は2歳、息子はもうすぐ1歳です。乳がんのママになるなんて想像もしていなかった。

胸に違和感を感じ始めたのは息子の妊娠中でした。張りというより痛みに近い。でも日常生活に支障があるほどのものではなく、妊娠中はホルモンのバランスが崩れて乳房にも変化が出がちと言われていたこともあり「きっと乳腺炎だろう」と都合よく解釈していました。
しかし、産後1か月経っても違和感が残り、気になり続けるくらいなら病院で診てもらおうと予約をとることにしたんです。

夫に二人の子どもを見てもらい、一駅向こうのクリニックへ向かいました。長女の出産後から子どもたちと片時も離れたことがなく、自分の体のことよりも子どもたちを置いていくことのほうが心配で「1時間で帰ってくるから」と足早に出かけました。

病院で初めてのマンモグラフィ検査を受けました。右胸はすぐに終わったのに、違和感のあった左胸には激痛が走りました。エコー検査は検査時間が異様に長く「何か悪いものなのかも」と嫌な予感がしました。

でも、そんな思いも束の間、もう少しで子どもたちに会えると思うと、不安な気持ちは次第に薄れていきました。「夫の好きなケーキを買って帰ろうかな」と、そんなことを考えていると待ち時間もあっという間に過ぎていきました。

しかし、診察室に呼ばれて告げられたのは、予想もしていなかった言葉でした。
乳がんだということ。さらに、かなり進行していて、ステージはおそらく3。もし転移があればステージは4になるとも言われました。
あまりの突然の話に頭は理解することをやめてしまったようでした。「先生は誰の話をしているのだろう」まるでドラマの中に入り込み、誰か別の人の話を聞いているような気がしました。
乳がんについて何も知らなかった私は「乳がんのステージっていくつまであるんですか?」と聞くことで精一杯。「ステージは4までです」その言葉を聞いた瞬間、さらに深い絶望が押し寄せました。4までしかないステージの3か4。二人目を産んだばっかりなんだけど。

これからどうすれば。帰りの電車ではスマートフォンを握りしめ、無我夢中で検索を続けました。「乳がん ステージ 生存率」「乳がん 治療」検索すればするほど不安と恐怖が膨らみ、涙が止まりませんでした。夢であってほしい。

一人じゃない

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翌日、紹介状を持って大学病院へ向かいました。まずはステージを確定させるための検査をしていくという説明を受けると次々と日程が決まっていきました。
予約日になると病院へ行き、検査を受ける。2週間経つとステージが確定し、すぐに抗がん剤治療がスタート。淡々と進んでいく治療とは裏腹に心だけはどこか取り残されたままだった。それでも「私にできることは目の前の治療をこなすこと」だと言い聞かせ、病院へ通う日々。でも半分が過ぎた時に、限界がきてしまったんです。

点滴は痛いし、血を抜くのも嫌。何時間も針が刺ささったままなのはつらいし、副作用はもっとつらい。もう少しで終わるって分かってるけど、抗がん剤治療頑張るって言ったけど「もう嫌だ。行きたくない。」張りつめていた糸がぷつりと切れ、胸の奥につかえていた気持ちが一気にこぼれ落ちました。

そんな私を見て、夫は静かに寄り添い「一人で戦っていると思わせていたらごめん。一緒に乗り越えていこう」そう言って私の心をそっと救いあげてくれました。いつも私の行く道を温かく照らしてくれる夫。
「一人じゃない」そう思うことができました。

家族とともに

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病気になるということ。それは、夫や子どもたち、親や仕事のことを考え、お金も時間もかけて治療に向き合っていかなければならないということだと知りました。食生活が悪かったのかな。ストレスをためすぎたのかな。と答えの出ない自問自答を繰り返し「なんで私が」とネガティブな気持ちに心が支配されていた時期もありました。

しかしそんな時にも、2歳の娘は日に日にできることが増え、覚えたての言葉で一生懸命話しかけてくれました。うれしかったこと、楽しかったこと、そして「ママが大好き」という気持ちをまっすぐに伝えてくれます。甘えん坊の息子は、いつも私にぴったりとくっついてくれていました。

入籍日ですら仕事を休まなかった夫は、私が「来てほしい」と言えば必ず通院に付き添ってくれました。
抗がん剤治療後の手術では乳房を全て切除しなければならず、術後に放射線治療も控えていることから再建は難しいと言われていました。見た目の変化を私は受け入れられるのだろうか。夫はどう思うのだろう。不安で仕方なかった。そんな私に迷いなくこう言ってくれました。「見た目の変化なんて小さな話ですよ。中身も含めて愛しているので、これからも支え合っていきましょう」夫はいつも私の不安を一瞬で吹き飛ばしてくれる。

家族全員が私のサポーターとして治療も心も支えてくれました。だからこそ、毎日の中にたくさんの幸せが溢れていると気づくことができました。
今の私にできることは、目の前の治療を最後までやり切ること。それが支えてくれた家族への一番の恩返しになると感じています。
元気になったら、今度は私が家族の行く道をそっと照らす存在になりたいな。

writer:Naka Kokoro

メッセージ

髪も胸もなくなる、女性としてみられるわけない。と心を塞ぎがちだった私を救ってくれたのは、リネアストリアのウィッグと夫の一言。友達にも子供にも可愛いって言ってもらえてすごく嬉しかった。坊主の私も、ショートの私も、ロングの私も楽しもう!毎日は宝物で溢れてる。