TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。ゆき「「今」この瞬間が、愛おしい。」

コロナ禍で悪性リンパ腫と診断される。
仕事と治療の両立を目指し通院治療を始めるも副作用により休職をする。その後、制限の多い入院治療を乗り越え現在は経過観察中。インタビューを機に、家族の存在で治療を乗り越えることができた感謝の気持ちを伝える。

病気の発覚

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私が「悪性リンパ腫」と診断されたのは29歳。職場では先輩の立場となり、仕事に責任感を感じ始めた頃。休みの日には旅行をしたり、大好きな甥や姪たちと遊ぶ。そんな充実した日々を過ごしていた頃のことでした。

コロナウィルスが流行り始めた頃、人と話すと咳が出てしまうという症状が続きました。仕事に集中している時は出ないので「コロナでないことを証明しよう」くらいの気持ちで、病院へ行きました。診断結果は風邪。薬を飲めば治るだろうということで、ほっとひと安心。しかし薬を飲んでも治らない。だんだん胸がくるしくなってきたので、もう一度病院へ。医師から「すぐに大きい病院を紹介するから行くように」と告げられました。

紹介先の病院での診断結果は「悪性リンパ腫」 血液のがんでした。白血球の中のリンパ球ががん化する病気です。 自分の身に起きていることだと理解することができず「明日の仕事はどうしよう。出勤はできるかな」そんなことを考えていました。治療の説明を受けていてもどこか他人事。 ようやく事の重大さにハッとしたのは「これからの治療は、ドラマで見るようなことが、あなたの身にも起こるからね」そう告げられた時。 「まさか私ががんになるなんて」ショックより、驚きのほうが大きかった。

無機質な入院生活

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「できれば仕事と治療を両立したい」医師と相談して通院治療にしてもらいました。病院まで車で片道1時間。投薬後は体調が優れず運転ができないので、母が送迎をしてくれました。 それでも治療の辛さは想像以上で、吐き気や発熱などの副作用に苦しみました。突然休まなければいけないことが続く日々。「このままだと、まわりの人に迷惑をかけてしまう」悩んだ結果、休職をして治療に専念することを決断しました。

治療に向き合っていこうと決めたそんな矢先、投薬中に息ができなくなってしまったんです。医師から「この薬はあっていないんだね」と入院での治療を余儀なくされる薬への変更を告げられました。そして「3週間入院をして2週間在宅療養。また3週間の入院」こんなサイクルを繰り返すという生活が始まりました。

悪性リンパ腫の治療は、感染症を予防することがとても重要です。外界のウイルス感染から守る部屋「クリーンルーム」へ入院をします。ウイルスを持ち込まないことが徹底され、部屋に持って入れるものは2冊の本と携帯のみ。病棟を出る事も許されず、院内のコンビニに行くことさえ叶いません。 窓はとても厚くて外の音も一切遮断されています。聞こえる音は、点滴が終わった事を知らせるツーツーツーという機械音と、点滴スタンドをガラガラと転がす音だけ。 無機質な音に囲まれ不安でたまらなく、夜は眠れなかった。睡眠が十分とれなくなると、どんどんマイナス思考になり気持ちが不安定になっていきました。

そして、医師から「治療が今後の妊よう性に影響するかもしれない」と告げられました。兄や姉が家庭を築く姿を見て「いつか私も」そう思っていました。人の数だけある価値観の中で、いつしか私の夢になっていたのです。私は「理想の未来」と「クリーンルームにいる今」そのギャップに耐えきれなかった。 がんが発覚した時、休職を決断した時「なんとか前に進もう」「頑張ろう」と自分を奮い立たせていた。だけど、この時ばかりは心が追い込まれた時期でした。

小さな幸せ

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辛い治療を乗り越えられたのは家族の存在、特に母の存在が大きかったかな。コロナ禍で直接会うことは出来ないけれども、週末には病院の前まで甥や姪たちを連れて来てくれるんです。「着いたよ」と電話をもらって窓の外を見ると、クリーンルームにいる私に「わ~~っ」って手を振ってくれて嬉しかったな。電話越しに伝わる家族の優しさに、本当に元気をもらいました。

コロナ禍で広まった、日本中が画面越しに会うことを余儀なくされた日常は、私にとっては病室と外の世界を繋ぐ架け橋となりました。画面に映る友人たちとの他愛ない話や、一緒にご飯を食べたり。治療の影響で髪がなくなった私を見ても、いつも通りに過ごしてくれた友人たち。日常に戻れたようでした。 私の無機質な生活に、大切な人たちが幾度も彩りを与えてくれました。

そうして入院治療から、在宅治療に切り替わる時。季節の移り変わりに小さな幸せを感じるんです。ミーンミーンと鳴く、蝉の声を聞くだけで自然と笑顔になってしまうくらいに。 自宅に帰ると、母が台所に立ってご飯を作る音が聞こえる。やっぱり母が作るご飯が一番!(笑)見えるもの、聞こえる音。すべてがキラキラしている。病気を患う前には、当たり前に感じていた私の日常が、こんなにも素敵なものたちに溢れていたんだと。

日常に散りばめられていた、小さな幸せに気付いた時。ゆっくり、ゆっくりと。心が元気になっていくのを感じました。

「今」という時間

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今も完治はしていなくて経過観察中。 治療し始めた頃は、とりまく環境が結婚、妊娠、出産と変化をしていく中で、取り残された気になってしまって。周りと比べて、自分自身を責めてばかりだった。だけど、一人ひとりの生きていく背景は違っていて「比べる必要はないのではないか」私らしく前に進めたらいいのでは。 ようやく「今を大切にしたい」そう思えるようになりました。

たとえ未来を描いたとしても、自分ではどうにもできないことはある。きっと、私の「悪性リンパ腫」という病気もそのひとつなのかな。「未来」を知ることができないのであれば「今」を大切に生きようと。 支えてくれる家族や友達がいること、甥や姪が笑顔で過ごしていること。そして、私が今ここに存在すること。「今」この瞬間が、愛おしい。

私と同じ世代の方がいたら、必要以上に落ち込まないでほしい。自分を責めないで。どうか全てが終わったなんて思わないで。

そして何より、私が今ここに生きていることを両親に感謝をしたい。 直接伝えようと思ったけれど、涙が出て言えなかったので「ありがとう」と心から伝えたい。

writer:Shiho Naito

メッセージ

病気、ウィッグ…すべての出来事、出会いにありがとう