TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。まゆ「今度は私が誰かを支える存在になりたい」

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着用ウィッグ:天使のルナミディ

中学生のころに脱毛症を発症。
栄養士の資格を取得し、食品関係の企業に就職。冷凍食品の開発に携わり、お客様の食生活を支えている。

鏡の前の私

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一口に「脱毛症」と言っても、様々なタイプがある事をご存知でしょうか。脱毛症というと、頭髪が丸く抜ける円形脱毛症をイメージする方も多いと思います。私は円形脱毛を繰り返し、眉毛やまつ毛、体毛までもが抜けてしまう「汎発型」です。
脱毛症になって15年。毎日鏡と向き合い、脱毛箇所が増えていないか、範囲が広がっていないかを確認する日々。この時間ばかりは今でも慣れる事はありません。時には「なんでこんな事で悩まなきゃいけないんだろう」と落ち込む時もあります。

初めての脱毛

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中学で入部した吹奏楽部。みんなで音楽を創り上げていく楽しさを知り、吹奏楽に打ち込む充実した生活を送っていました。

そんなある日、後頭部を触るとツルツルとした感覚がありました。思わずそばにいた友人に「後頭部のところ、なんかツルツルしてる感じがするんだけど、もしかして髪の毛抜けてる!?」と確認してもらうと「本当だ!毛が生えてない部分がある...。」と言われました。急いで帰宅し鏡で確認すると、後頭部に円形の脱毛が数ヶ所。すぐに皮膚科に行き、病院でドライアイスを脱毛箇所に押し当てる治療をしました。しばらく経つと、脱毛箇所に短い毛がぽつぽつと生えてきて、数ヶ月で毛が生え揃いました。その後も、時々円形脱毛ができるとドライアイスで治療し、毛が生える。その繰り返しの生活でした。隠せる大きさだし、治療さえすれば治るものと軽く考えていました。

突然の全脱毛

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高校に入学してからも吹奏楽に明け暮れる日々を送っていました。

高校3年生の時、お風呂で頭を洗っていると髪の毛が両手に絡みついたんです。それも尋常じゃない量が。突然の出来事に頭が真っ白になって、状況を理解できませんでした。気のせいだよね、いつもこのくらいの抜け毛はあったはず、理解が追いついていない頭に必死にそう言い聞かせている自分がいました。

その日を境に、朝起きると、パジャマにも抜けた髪の毛が沢山付くように。歩いているだけでもパラパラと髪の毛が抜けていく。「明らかに今までの円形脱毛とは違う」「これは気のせいではないな、、」中々現実を受け入れられない私の心を嘲笑うかのように、脱毛は急激に進行していきました。

こんな状況でも学校ではいつも通り過ごしたい。脱毛箇所が目立たないように、髪の毛を結んで学校に通いました。放課後は部員たちと集まり、音楽に打ち込む日常を壊したくない。そんな気持ちが強かったんです。

しかし、次の週には髪の毛を結んでも誤魔化せない程に抜け落ち、2週間後には眉毛もまつ毛も全て抜けてしまいました。ほんの数週間の出来事に心が追い付かなかった。とにかくいつも通りに日々を過ごすだけで精一杯でした。

支えてくれた人達

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そんな日々を支えてくれたのは友人と家族でした。仲のいい友人には、脱毛症が進行している事を相談していました。

「今までの円形脱毛とは違って、すごいスピードで沢山の量の髪の毛が抜けていってしまっている」「このまま髪の毛が全部抜けてしまったらどうしよう」そう落ち込む私に、あっけらかんとした様子で「大丈夫大丈夫!すぐに生えてくるって!」と明るく返答してくれました。眉毛が全て抜けて、先生達に校則違反を疑われないか不安だった私に「このアイブロウ、落ちにくいからプールも楽勝なんだよ~!」と、眉毛を描いてくれたこともありました。

友人の態度はいつもと変わらなかったんです。私にとってはすごく嬉しかった。どんな姿の私でも変わらずに仲良くしてくれるんだって、友人の温かい笑い声に救われました。学校から帰宅すると母が沢山の美味しいご飯を作って待っていてくれました。「脱毛範囲が広がって来ちゃった…」と肩を落とす私を見て、両親が「大丈夫!すぐ生えてくるよ!」と優しい声で励ましてくれました。友人は明るく振る舞い私を元気づけてくれ、両親は私に寄り添い支えてくれた。

大学生になりウィッグデビューをしました。入学して間もない時期に研修合宿があったんです。お風呂の時や寝る時はどうしようと不安でいっぱいでした。

そんななか迎えた合宿当日、同部屋になったメンバー達が、お風呂の時にさりげなくみんなと私の入る時間をずらしてくれたんです。一番目立たない場所にあるベッドで寝れるようにもしてくれた。出会って間もない中、みんなで協力して私の不安な気持ちを和らげてくれた。本当に嬉しかったです。

私は本当に周りの人に恵まれているなと思いました。沢山の人がありのままの私を受け入れて、どんな時も変わらず接してくれていた。両親や友人が支えてくれていなかったらきっと心が壊れてしまっていたと思います。

「食」をとおしてお客様を笑顔に

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大学時代に栄養士の資格を取り、食品関係の会社に就職して11年が経ちました。冷凍食品を開発する仕事をしています。商品の具材1つを考える時も袋を開けた時のお客様の笑顔を想像するんです。

「美味しいと喜んでもらえるといいな」「お肉が沢山入っていたらお客様が笑顔になってくださるかな」「身体の内面からも元気になっていただけるよう、質の良い野菜を具材に加えたいな」食品を口にした時のお客様の笑顔を想像するのはすごく楽しいです。常にお客様の立場に立って考える事で、お客様の生活が豊かになると嬉しい。日々の仕事で沢山の人の生活を支えられていたらいいな。そんな想いでこの仕事を続けています。

私が昔、周りの人から支えてもらったように、私も沢山の人を支えられる存在でいたいな。

今日も鏡の前に

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私は今日も鏡の中の自分と向き合います。周りの友達、家族に支えられて生きてきて、今目の前の鏡に映る、私がいるのだと思います。

そして、誰だってきっと今この瞬間、鏡の前に立ち「どうして私がこんなに…」って思い悩んでいる人もいるんじゃないのかな。周りの人達が私をずっと支えてくれたように、今度は私が、誰かの毎日を優しく支える、そんな存在になれたらと、私は思います。

writer:Nao

メッセージ

病気は何が1番私にとって大事なのかを教えてくれました。これからも人にやさしく、人にやさしく、自分にやさしく