ウィッグで新しい私を 見つけて自分を好きになれたら 甲斐瑞紀
ウィッグをかぶって初めて自分を愛せたことで、鏡に映るありのままの姿も愛せるようになった。
自然なウィッグ・エクステ通販のリネアストリア
小学生の時、中学校での生活を不安に思い悩むあまり、抜毛症に。
地元から誰も知らない東京へ上京しようと決意したことをきっかけにウィッグと出会い、世界が広がった。
抜毛症のきっかけは本当にふとした事。でも、鮮烈な思い出。
小学生の時、家庭環境や来年から始まる中学校での生活を不安に思い悩んでいました。
1人で留守番をしている時にそのことを考えたら不安な気持ちが止まらなくなってしまって、なんとなく頭に手をやり髪の毛を引っ張ってみたんです。プツンと音を立てて髪の毛が抜けた時、心が軽くなった気がしました。気がつけば一本、また一本と夢中で髪の毛を抜き続けていました。ハッと気が付いた時、何だか悪い事をしている気分になり、抜いた髪の毛は、誰も読んでいなさそうな本のページに挟んで隠しました。それからというもの、1人でいる時は頻繁に髪の毛を抜くようになりました。
髪の毛を抜いている時は不安な事を忘れられる気がしたから。
抜毛症のきっかけになる程に不安を感じていた中学校での生活は、思いのほか楽しいものとなり、友人関係もうまくいきました。しかし、家に帰ると家族の目を盗んで抜いてしまう日々。母には抜いた毛を並べさせられ、数えなさいと𠮟責を受けることもしばしばありました。母から𠮟られるたびに「髪の毛を抜く事は悪い事なんだ」と罪悪感に苛まれ「私はしてはいけないことをしてしまったんだ」と自分自身を嫌いになっていきました。
学校での私と家での私、どちらが本当の私?目まぐるしく過ぎていく日々の中でこの生活から目を逸らすほどに、毛を抜く量は増えていきました。
高校時代に他者との距離感について考える出来事がありました。
小さい頃から読書や絵を描く事が好きだった事もあり「漫画研究部」に所属し、親友が出来たんです。抜毛症の症状は悪くなる一方で、一目で髪の毛の量が少ないと分かる程でした。
自分に自信の持てない私にとって、親友はかけがえのない存在となっていきました。なんでも話せる、分かり合える親友。そう思う一方で初めての関係に依存していく私もいました。SNSで他の子と親友がやり取りしていると嫉妬してしまったり、親友が仲良くしている子に冷たくあたってしまう事も。
「私だけの親友でいて欲しい」その気持ちが行動にでてしまうたびに、親友との心の距離は開いていってしまいました。仲良くしていたいのに理不尽な態度を取っている自分自身に罪悪感を覚え、部活にも行きづらい日々。そんな私たちの関係を見かねた部長が話し合いの場を設けてくれたんです。自分の気持ちをぽつり、ぽつりと吐露しているうちに「親友は私だけのものではない」そんな当たり前の事が頭だけでなく心に染み渡るように理解できました。今思えば、あの頃の私は他人と自分との関係性が白か黒でないと気が済まなかったんだと思います。
学校を卒業し「上京しよう」と思い立ったんです。私の住んでいる地元はどこへ行っても知り合いと会うような所でした。気分転換に出かけても誰かと会う。「いつも誰かに見られている」そんな気がしていました。誰も私のことを知らない所へ行くなら「ウィッグを使ってみたい」その思いと同時に「抜毛症の私がウィッグを使ってもいいのかな」という気持ちが湧いてきました。
自分で髪の毛を抜いてしまってる私がウィッグで救われちゃっていいのかな。私が我慢したり努力すればどうにかなるんじゃないのかな。思い悩む日々が続きました。そんな時SNSを見ていると、ある動画が目に止まりました。ウィッグユーザーの方が「生え際がウィッグみたい」という視聴者からのコメントに回答する動画で、ウィッグを使ってもいいのか悩んでいた私は思わず「どう答えるんだろう」と見入ってしまいました。その方は「そうだよ。僕は脱毛症でウィッグをかぶっています。よく分かったね!」とシンプルに返事をされていました。そのあっけらかんとした姿に「あ、いいんだ」って。自然と思えたんですよね。
抜毛症の私も、オシャレでウィッグを使っている方も、抗がん剤治療の方も、脱毛症の方も、ウィッグを使う事に理由なんて要らなかった。ウィッグと出会うまでの私は、本当に自分に自信が無かったんです。背中を丸めて歩いていて、他人に見られる事が怖かった。そんな私が胸を張って生きていけるようになりました。ウィッグをかぶって初めて自分を愛せたことで、鏡に映るありのままの姿も愛せるようになった。
東京での生活は驚きの連続でした。オシャレなカフェや街並み、個性的なメイクやファッション、初めて見るもので溢れていました。一方でそんな光景に見向きもしない人達がいる事も新鮮でした。地元では1人で外食しているだけで後ろ指を指されているような気がして、常に誰かに見られているような気持ちでいましたが、東京ではその視線を全く感じなかったんです。他人との距離感がとても居心地が良く感じた。世界が広がって、全部が自由なんだって思えた。
思えば私は、全ての出来事に白黒つけたくてしょうがなかった。髪の毛を抜くのは悪い事。親友は私とだけ仲良くしているのが当たり前。
「こうじゃなくちゃダメ!」「こうあるべき!」と強く考えてしまっていた。いつしかその考え方が自分自身を苦しめてしまっていたんです。髪の毛を抜くのだって、たまにならいいんじゃない?たくさんの友達と仲良くして、色々な経験をした方が楽しいかも?ウィッグを使う事も「抜毛症の私だから使ったらダメ」なんて事は無かった。ウィッグで新しい私を見つけて、自分を好きになれたらすごく幸せだなぁ。全てはグラデーションになっていて、ハッキリとした線引きや良し悪しは必要無かった。目の前が一気に開けて私の心に新しい風が吹き込んで来ました。
ウィッグを使う事に戸惑いを感じている方の背中を優しく押してあげられるような存在になりたい。
周りの目なんか気にしなくたっていい。だって、私の人生の主人公は私だけなんだから。
writer:Nao