TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。Mayo「『やってみる』から始まる一歩」

着用ウィッグ:シエルカール

9年前に夫のがんが発覚。完全に仕事を離れ、2人の子供を育てながら闘病生活のサポートに全力を注ぐも夫は他界。
2023年8月、自身にも乳がんが発覚。すぐに手術を受け、放射線治療と抗がん剤治療を開始。
その後、リネアストリアのウィッグと出会い前向きな気持ちを取り戻し、高校生になる子どもたちの支えとともに治療を継続中。

とにかくやってみる

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9年前、夫にがんが見つかりました。夫はまだ30代「こんなに若くして?」そんな思いとは裏腹に入院や手術を繰り返すも病状は進行していきました。当時私はフルタイムで働いていて、子どもたちは保育園と小学2年生。保育園の送り迎え、学校行事に習い事など、とにかく毎日が忙しかった。そこへ夫の闘病生活が加わり「今日をどうやって終わらせるのか」毎日をこなすだけで精一杯でした。夫と向き合う時間もままならず、病気や生活のことなどを落ち着いて考える余裕は全くありませんでした。

まわりから「決めたらすぐに行動するよね」とよく言われます。今思うと、幼少期の頃からそうだったように思います。楽しそうに遊んでいる子がいたら「入れて!」と飛び込んで行くような子でした。知っている子だとか、知らない子だとかお構いなし!やりたいと思ったら頭より先に体が動き出している。そんなことがよくありました。

学生時代にカフェでアルバイトした時も「もっと活気溢れるお店にするにはどうしたらいいんだろう?」と悩んだことがありました。「私がみんなをひっぱっていこう」そう思うと同時に行動していました。働き始めて数カ月だったけれど「アルバイトリーダーにしてください!」と店長に直談判。店長は「自分から言ってくる人は初めて」と驚きつつもお店作りを任せてくれました。すぐに答えが出なくても、動きながら考えたらいいし、違うなと思えば方向転換すればいい。いつも考えるより前に動いていた気がします。

夫の闘病が始まり綱渡りのような日々を過ごすうちに「夫と24時間一緒に過ごしたい」という思いが沸き上がりました。子ども2人を抱えて経済的に大丈夫なの?という状況だったけれど「とりあえずやってみよう」と完全に仕事から離れました。そうして得た時間を何に使おうか。家族全員で相談し「飛行機じゃないと行けないくらいの所に旅しよう」と北海道へ向かいました。富良野のラベンダー畑は息をのむような風景でした。一面に広がる紫色の絨毯。土のにおいと爽やかなラベンダーの香りを胸いっぱいに吸い込み、家族全員で手をつないで見たあの景色を今でも昨日のことのように思い出します。

それからちょうど1年後、夫は亡くなりました。残された時間はこんなに短かったんだ。夫は寂しがり屋だったので入院中は毎日のように「明日も来てほしい」と言い、家にいる時には痛い体をさすりながらも私の買い物や外出に必ずついてきました。私がフルタイムで働いていたらできないことばかりだった。「あの時の決断は間違っていなかった」そう思います。

がんの発覚

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子どもたちはあっという間に大きくなり、2人とも高校生になりました。昨年8月、胸に違和感のある痛みを感じたんです。PMS(月経前症候群)の症状として毎回胸の痛みがあるので、始めは「いつもの症状だな」と思っていました。でも触ってみるとごりごりと動かない何かがありました。大きさは手芸用の小さなビーズくらい。「いつもと違う気がする」頭の中でサイレンが鳴り響きました。すぐに病院へ行くと、先生から「確かにあやしいものがあるね。ちゃんと確かめよう」と言われ、検査を重ねました。

結果は乳がんでした。
2人に1人はがんになると言われる時代「私もいつなってもおかしくない」と思っていたけれど、やはりショックでした。すぐに治療方針の説明を受け、手術日が決定。入院期間は3日間。予想外に短い入院期間に少し拍子抜けしたくらいです。手術当日には、手術室まで自分で歩いて向かい、自分でベッドに上がりました。ドラマでよく見る何人もでベットを押しながら手術室に入って行く様子との違いに驚きました。横になると目の前には手術用の大きなライトが…
「これから意識がなくなって胸を切られるんだ」そう思い終わらないうちに眠ってしまったと思います。

「終わりましたよー」という声で目が覚めると、無意識に涙が溢れました。
「私、怖かったんだ」がん発覚から、あれよあれよという間に色んなことが決まり、自分の心と向き合う間もなく、手術台に上がっていました。初めての全身麻酔と手術への不安、無事に目覚められた安堵、色々な感情が堰を切ったように涙とともに流れました。

これが手術をするってことなんだ

Mayo様の写真
Mayo様の写真

翌日、先生から「予定通り退院できるよ」と言われ、ほっとしました。腕が上がりづらいなと感じていたので「大丈夫かな」と不安もありましたが「普段どおりの生活を送ることもリハビリのうち」「まずはやってみよう」と思い帰宅しました。

しかし、そう簡単にはいきませんでした。体力が一気に落ちていました。何をするにも疲れやすく、歩くたび胸に痛みが響きました。いつものスーパーへ行くにも、何度も休みを取らなければならず「一気に何十歳も年をとってしまった」そんな感じでした。これが手術をするってことなんだ。拍子抜けするくらい短いと思っていた3日間の入院で生活は一変してしまいました。

手術が終わると、放射線治療と抗がん剤治療が続きました。抗がん剤治療の説明を受ける時、同時に副作用の説明もありました。ウィッグを準備しておいた方が良いと言われ「患者さんがここがいいって言っているよ」と渡されたパンフレットがありました。今思うと、これが私とリネアストリアの出会いです。ウィッグはコスプレのイメージが強く「医療用ウィッグ」という言葉もこの時に初めて知りました。「病気になった人のためのウィッグがあるんだ」と安心したのを覚えています。早速ネットで見てみると、種類の多さに驚きました。店舗に行くのは億劫だなと感じていたので、スマホで買えることに手軽さも感じました。「とにかくチャレンジしてみよう」と購入。届いたウィッグを見て「裏はこんな風になってるんだ」「アジャスターでサイズ調整もできるんだ」と知らなかった世界の扉が一気に開いたようでした。装着も簡単にでき、これで抗がん剤治療も前向きに受けられる、そんな風に思っていました。

しかし抗がん剤治療が始まると、高熱としびれ、骨がきしむような痛みが次々と襲いかかりました。体が言うことをきかず、心まで落ち込む日々。家で横になる時間も増えました。ある日、病院から帰ると壁に千羽鶴がかけてあったんです。「これどうしたの?」と娘に聞くと「作ったんだよ」とあっさりとした返事。高校生になった子どもたちは、思春期真っ只中。何を聞いても「あー」とか「うん」とか短い返事ばかり。よくよく聞いてみると、始めは娘が1人で作り始めたけれど、数が数なので大変になり、兄も誘ったんだと教えてくれました。2人で協力して作ってくれたんだと思うととても嬉しかった。病気のことで2人には迷惑をかけないようにと思っているけれど、横になっていると洗濯をしてくれたり、重い荷物を持ってくれたり。言葉は少なくても見守ってくれていると感じます。

体調が落ち着いたら、また家族全員で富良野へラベンダー畑を見に行きたいな。そんな想いを胸に今日も頑張ろうと思います。

writer:Naka Kokoro

メッセージ

どんな時も自分らしくいる為に。そしてちょっと違う自分にもなれるアイテムのウィッグ。LINEASTORIAが叶えてくれた。いつでも胸に楽しみと希望を