やらない後悔よりやって後悔したい ここあ
このままでいいんだ。これが私なんだって本当の意味で受け入れられた気がした
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2021年に乳がんを発症。
手術と治療のために仕事を休職後、2023年夏に復職を果たす。
現在は、社内に「がん治療の経験チーム」をつくることを目標に取り組んでいる。
乳がんの手術や治療を終えて、職場に復帰しました。職場の人達が私にかけてくれた「おかえり」の言葉。笑顔でいようと思っていたのに、気持ちが溢れてしまって涙が流れた。この会社の一員として、戻ってくることができてよかったな。そう心から思いました。
2021年。胸にある一つのしこりに気付いたのは、会社で大きな案件を任され日々を慌ただしく過ごしていた頃。「もしかしたら乳がんのしこりかもしれない」という不安。今まで大きな病気にかかったことがなかったので「絶対大丈夫だ」という不確かな自信。相反する気持ちを抱えたまま病院へ。検査結果は「良性のしこり」。結果に安心したのもあり、毎日の忙しさに追われて気にならなくなりました。
数か月経ったある日、満員電車の中でリュックサックを胸側に抱えていたらズキっとしこりが痛んだんです。それがすごく痛くて。「なんだかおかしい」と不安に駆られた。家でしこりの大きさをメジャーで測ってみると、以前より明らかに大きくなっていたんです。一気に胸騒ぎがしました。
再び病院へ。不安そうな私を見た医師は「良性だとは思うけど。気になるならしこりの部分を手術でとってみる?」そう提案をしてくれたので手術を決意。「良かった。気にし過ぎていたのかもしれない。手術をしたらもう大丈夫」 手術前の組織検査。何度も良性の診断を受けていたから、全く不安はなかった。「あの店で買い物して帰ろう」とか「この後、美味しいもの食べたいな」とかそんなことを考えながら、病院の待合室で一人過ごしていました。
しかし、医師から告げられた言葉は悪性腫瘍。乳がんでした。突然の出来事に状況を飲み込めず「家族と話す時間がほしいです」そう伝えるのが精一杯でした。
まずは家族に一番に話したかった。言葉にできない気持ちを聞いてほしかったんです。電話越しの父の震える声を聞いて「悲しませてしまった」と少し後悔しました。いままで父が泣いている姿は一度も見たことがなかったから。それでも家族に隠すことはできなかった。「みんな一緒にいるから。大丈夫だから」と、ただただ私を慰めてくれました。
日常は、その日を境に一変しました。仕事をしていても、食事をしていても「私はがん患者なんだ」。その気持ちが脳裏によぎった。何に対しても心から喜べなくなった。まるで私だけが社会から引き離された気持ちでした。
何度も携帯で病名を調べては落ち込んで。ネットの記事に、同年代の同じ病気の芸能人が、亡くなったという過去のニュースが流れていて「私もそうなっちゃうのかな」と一晩中泣きじゃくっていました。
不安な気持ちは、仕事にまで影響を及ぼしました。
私の仕事は、メーカーの法人営業。自社製品を使った商品を、取引先に提案することもひとつの仕事。その中でも「全国チェーンの法人」の担当になることが私の大きな目標でした。大変なこともあったけど、念願叶ってついにその目標を掴み取れたんです。自分の考えた商品を全国の方々に知ってもらえたこと。みんなに喜んでもらえたこと。何にも代えがたい達成感だった。がんと告知を受けたのは、そんな矢先の出来事でした。
体調が優れない日もあり、やっと目標が叶ったのにどんどん仕事が私の手から離れていきました。心も体も不安定になり、行き場のない感情を抱えて苦しかった。どんなに辛いことがあっても泣いたことは一度もなかったのに。
悔しかったけど、私がいると迷惑をかけてしまうと思い「部署の異動をお願いしたい」と上司に伝えました。しかし「サポートするから大丈夫。安心して休んで」と言ってくれました。感謝を思う反面、以前のように頑張ることができない自分に不甲斐なさを感じた。何もできなくて、周りにも負担をかけている。弱い自分が心底情けなかった。
抗がん剤治療をする前に、いくつかの副作用の説明が医師からありました。そのひとつの脱毛。脱毛の過程を写真で見せてもらったときに言葉をなくしました。衝撃的だった。抜けた先は想像できていても、抜ける過程までは想像ができていなかったから。実際に脱毛が始まると、本当に写真通り。いえ、それ以上でした。自分の髪の毛が抜けていく。すこし髪の毛を触ると手についてる。部屋の中や枕にも。お風呂に入ると大量の髪の毛が身体中に引っかかっている。全身が髪の毛だらけの自分が本当に辛かった。
そんな最中、あるテレビ番組を見てしまったんです。それは薄毛のお笑い芸人をいじる姿。
病気をわずらう前は、私も楽しくみていた番組だったのに、本当に笑えなかった。すごく悲しかった。髪の毛を無くして悲しんでいる私が笑われている。そんな錯覚に陥りました。テレビから聞こえる音しか響いていない部屋の中で「鏡で自分の姿を見たくない。外にもでたくない。もう嫌だ。なにもできない自分自身が辛い」と責めるようになりました。
今まで髪の毛をケアすることに力を入れていて、美容室にいくことが大好きでした。けれど、ケアしてきた自慢の髪の毛が全て脱毛してしまった。ウィッグを着用することに抵抗を感じ、オシャレを楽しむ気力さえもう残ってなかった。
そんなとき「生活する上で買わざる得ないから」そう思って購入したウィッグ。届いた箱の中に、ウィッグの他に一つの冊子が入っていました。今までウィッグと触れ合ったことがなかった私は大きな衝撃を受けました。目を通すと、インタビューを受けている方々が色んな事情を抱えながらもウィッグを心から楽しんでいて、とても自然に着用していたんです。そんな姿を見て「もう一度、オシャレをしてみたい」そう思ったんです。
それからの私は、副作用で色素沈着をした爪につけるネイルチップを作ってみたり、イヤリングやネックレスなどのハンドメイドアクセサリー作りに没頭しました。作ったアクセサリーやネイルチップをつけて、ウィッグを着用して、オシャレをして外出するとなんだか本当に気持ち良くて。
明日がもう来ないかもしれない」と思い詰めるほど、どうやって病気と向き合っていいのかわからなかった。思うように身体が動かないことが辛かった。そんな時、看護師さんが言ってくれたんです。「もう十分頑張ってるよ。大丈夫だからね」この言葉にすごく救われたんです。
今ここで治療を頑張っている。今の私を受け入れることができたとき、不思議なくらい身体がスッと軽くなっていくのを感じました。
これからやってみたいこと。それは会社の中に「がん治療の経験チーム」を作ること。看護師さんの言葉で救われたように、今度は私が誰かの助けになれたら。
治療のために会社を休職してから、約一年の月日が経ちました。復職の前日は緊張してぐっすり寝ることができなかった。「笑顔で戻ろう」そう決心したのに、同僚たちの「おかえり」の言葉に目頭が熱くなった。みんなの優しさが心に触れて涙が止まらなかった。
今は新入社員に戻ったような気分。少し勇気はいるけど、自分がやりたいと思うことに飛び込んでいきたいな。
writer:Naito Shiho