TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。オルカ「なりたい自分を抱きしめて」

Instagram:hannah1021__

X:hannah1021__

着用ウィッグ:エンジェリックNeoウルフ

小学2年生のときに抜毛していることに気付く。母からの勧めでリネアストリアを知り、高校生からウィッグを使用。
17歳のときに観たミュージカルに感銘を受け、音楽大学に進学し、英語と声楽を学んでいる。

最初の記憶

https://cdn.shopify.com/s/files/1/0668/1444/3834/files/interview-oruka1.jpg

2024年のクリスマス、私は声楽科に入学して初めての舞台に立っていました。仲間と歌ったクリスマスソングの数々。舞台に立てた喜びに心沸き立つあの時間は何にも代えがたい貴重な体験となりました。

私をこの舞台に運んでくれたのは17歳で出会ったウィッグとミュージカル。この2つが私の未来の扉をひらいてくれました。小学生の私が見たらきっと驚くだろうな。

自分で髪の毛を抜いていると気づいたのは小学2年生の時。母親から「髪の毛が薄くなっているけどどうしたの?」そう言われて気がつきました。なぜ抜き始めたのかまったく覚えていなくて、気づいたら抜いていた、それが最初の記憶です。

母親が気づいたってことは他の人からもそう見えているのかな?小さな不安が湧き上がり、薄くなった部分を隠すために前髪を伸ばすようになりました。隠すことが最優先になり、好きな髪型にチャレンジすることは叶わなかった。編み込みを作ってアレンジしたり、髪の毛を好きな色に染めてみたい、そんな思いもあったけれど「私はおしゃれとは無縁」と自分に言い聞かせていました。

あなたのままでいい

https://cdn.shopify.com/s/files/1/0668/1444/3834/files/interview-oruka2.jpg

母が図書館司書をしていたこともあり、家にはいつも本が溢れていました。母が借りてきてくれた本を読んでいると、先人たちが紡いできた言葉に埋もれ、その世界に浸ることができた。それは、心が落ち着く私の大好きな時間でした。

でも、そんな時でも気づくと髪の毛に手が伸びてしまう。なんで抜いちゃうんだろう、そんな疑問が心の中で何度も浮かびました。なんで?なんで?と考えても答えは見つからなかった。いくらやめたいと思っても抜くことはやめられませんでした。

その頃、自分の髪の毛を抜いてしまうことに加え、音に敏感になってしまう私がいました。これもいつから?という記憶はないけれど、好きな音と苦手な音がはっきり分かれていて、苦手なのは特に大きな音。花火の音や犬の鳴く声、アラート音で気分が悪くなってしまうことがよくありました。

逆に幼い頃の私を虜にした音。それは、毎週日曜日に観ていたテレビ番組の主題歌。体に響くようなパワフルな歌声は切ない日曜日の夜を吹き飛ばしてくれるようで大好きでした。聞いていると心が躍りだす、そんな感じがしていつも番組を見終わってからも歌い続けていました。

小学6年生になると、修学旅行がありました。学校から行く初めての宿泊行事にクラス全体が期待を膨らませている、そんな空気がクラス全体を覆いました。宿泊するとなると、入浴や洗面もしなければならず、抜毛箇所を隠し続けるのは難しいのでは?そう思うと楽しみより不安が募りました。幸い行動班・宿泊班ともに仲の良い友人たちと組ませてもらえたので、仲の良い子たちだし打ち明けてみようかな?打ち明けたらその後どんな風に思われるんだろう?打ち明けたい思いと不安が交錯しました。友達と過ごす時間、何度も今なら言えるかも、そう思いました。けれどもなかなか勇気が出ない。休み時間も下校時間もずっと一緒にいる友人たちに修学旅行で気を遣わせてしまうのは良くない、そう決心し打ち明けることにしました。「わたし、抜毛症なんだ。普段は前髪を伸ばして隠しているけど、髪の毛が薄くなっちゃってる部分があって」

友人たちは私を見つめ、私の言葉を受け止め、そして「そんな病気があっても髪の毛がどうであろうと、オルカはオルカだ」と笑顔で言ってくれました。

私の心に重くのしかかった不安な気持ちがみるみるうちにすうっと消えていきました。髪の毛を抜くことはやめられないけど、それも含めて自分なんだ、そう思えたんです。打ち明けるかどうか迷った日々、無意味なことなんてひとつもなかった。友人たちの言葉に私も心の底から笑顔になれた気がします。そして、友人たちの言葉のおかげで修学旅行は髪の毛のことを一切気にせず、心から楽しむことができました。本当に良い友人に恵まれたと思います。

未来への扉

https://cdn.shopify.com/s/files/1/0668/1444/3834/files/interview-oruka3.jpg

2020年コロナウイルス大流行の時。高校1年生になった私は学校へ行くことはもちろん、友達と出かけることもままならず、家で過ごす時間を余儀なくされました。出かけられない窮屈さと比例するように髪の毛を抜く量はぐんと増え、隠すことが難しくなるまで進行してしまいました。

心配した母はインターネットで買えるウィッグがあるらしいとリネアストリアを見つけてきてくれました。初めてサイトを見た時、おしゃれとは無縁と思っていた私の心に暖かい光が射し込んだようでした。早速購入し、届くまでの間も「私がつけるとどうなるんだろう?」と待ちきれない思いでした。届いたウィッグをつけてみると家族から「かわいいね。似合っているよ」と言われ、心が弾みました。自分でも「これめっちゃ好き」とワクワクしました。嬉しくて外へ出かけてみると、今まで人目を気にしながら歩いていたのが嘘のように胸を張って歩けたんです。世界が明るくなった、そんな気がしました。

ちょうど時を同じくして、観に行ったミュージカルがありました。特殊な性質を持った主人公はその自分の性質に複雑な思いを抱えながら生きている。なぜ自分は生まれてきたのか?悩みながら生きている。フィナーレでは「それでも生きててよかった、明日からも頑張ろう」と主人公の思いを紡ぎあげた歌詞に涙が溢れました。そして、その思いを奏でる歌のパワーに圧倒されました。体中に衝撃が走ったんです。

扉をひらく

https://cdn.shopify.com/s/files/1/0668/1444/3834/files/interview-oruka4.jpg

ウィッグとミュージカルに出会った私は、音楽大学に進学することを決めました。それまで考えていた将来からは想像ができないほど大きな変更でした。私が歌に感銘を受けて生きる力をもらったように、私も歌で人に希望を与えられたら、そんな思いで声楽と英語を学べる大学へ進みました。クリスマスには初めてのコンサートを終え「人前で歌うという選択は、ウィッグとの出会いがなければ選んでいなかっただろうな」と思います。

そして、ミュージカルの訳詞*にチャレンジする機会にも恵まれました。はじめて言葉を紡ぐ側になり、何度も責任の重さに押しつぶされそうになりました。人からもらう言葉だから感動したのかもしれない。自分の言葉は、練っても練っても納得できなくて、眠れない日々が続きました。それでも、出来上がった歌詞を聞いた人から「感動したよ」という言葉をいただいた時、この道を極めようと心が決まりました。

そして「歌う方も聴く方もその曲に愛着を持ってもらえる訳詞作りを心がけたい」そう強く思いました。なりたい自分を抱きしめて、これからも歩いてゆこうと思います。

*訳詞…歌詞を翻訳すること

writer:Naka Kokoro

メッセージ

皆様はどのような想いでマガジンやサイトを開かれたのでしょうか?ポジティブな気持ちでウィッグを探されている方ばかりではないと思いますし、私のように単に必要だったからという方もいらっしゃると思います。ウィッグとの出会いが少しでもあなたの心を明るくしてくれますように。あなたの中の何かを咲かせてくれるかもしれませんよ。ウィッグを利用される皆様を心から応援しています。きっと大丈夫。