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2017年悪性リンパ腫に罹患。5ヶ月の長期入院を経てがんを克服。
活動はマルチにおよび、ラジオパーソナリティや司会業、がんについて話す「がん教育外部講師」として講演活動も行っている。
私は、ラジオのパーソナリティやイベント司会、他にも声優や話し方講座など「話す」仕事をしています。十年ほど前、担当しているラジオ番組に「がんの啓発運動」をしたいという方が飛び込みで来られました。
実は私、子どもの頃から人体の仕組みや生命の神秘に興味があったんです。学生時代には養護教員の免許が取れる学校へ進み、病気にもすごく興味がありました。中でも「がん」は体中どこにでもなりえるのに、いまだに分からないこともいっぱいあってミステリアスだななんて思っていました。
だから、飛び込みで来られた方のお話を聞いていくうちに、がんの啓発イベントに参加することになり、そのご縁から「病気のことをラジオにのせてしゃべるコーナーがあるといいよね」と新しい企画が動き出しました。大きな放送局じゃなくて、地元の人が聞くラジオ局だからこそ地域密着。ドクターや看護師さんに来てもらうコーナーをそれから8年くらい続けました。
私にとってもすごく勉強になりました。患者サロンでのボランティアの話も出てきて「私もやりたい」そう思ったらすぐ行動。がんセンターでボランティアを始めました。
ボランティアを機に、がん患者の方やご家族、ドクターやナースの方々と触れ合う機会が増えて思ったこと。がん治療の技術は想像以上に進んでいて、通院で治療できたり、持病のような感覚で付き合える時代になっているってこと。
でも一方で、患者さんを見ていると「がんになった」ことで落ち込んでしまい、気が動転してネットの記事を読みあさり、さらに落ち込んでしまう人もすごく多いという現実。
病名の先入観に引っぱられて「自分のがん」とちゃんと向き合えているのかな?「がん」といっても、できた場所やその人の体の状況によって違うはずなのに。「がんになるってどういうことなんだろう」そう思うようになっていきました。
がんについて知るうちに「がん経験者」は身近にもいることに気づきました。日本人の2人に1人が生涯でがんになる時代。「がん」は特別な病気ではなく誰にでもなりうる病気なんだ。
がんになったとき、私は自分のがんと向き合えるだろうか?そして、がんになった自分とも。
私は、健康診断が大好きで毎年欠かさず受けていました。しかし、その年は少し時期を遅らせたんです。毎回の診断結果が良好だったこともあり「少しくらい大丈夫」そんな気持ちでした。
忙しく過ごす中で「疲れやすくなってきた」と感じていました。咳も出るようになり、かかりつけ医に行くと「慢性疲労症候群ですね」と漢方薬をくれました。薬を飲むも改善は見られず、毎日が「しんどい」「だるい」で侵されていきました。そのうち50m歩くだけでしゃがみこんで休憩しないといけないくらいに。
「さすがにおかしい」レントゲンを撮ってもらうと肋骨の中が真っ白。「すぐに大きい病院へ」と出された紹介状は、ボランティアをしているがんセンター宛てでした。
すぐに一泊して検査するも、結果がでるまでに1か月かかると言われました。その間にも病状は進行し、腫瘍は鎖骨のすきまから出てきてしまう程の大きさに。服が当たるだけでも痛く、さらには突然の痛みが全身を襲うようになりました。いつくるかわからない痛みに恐怖の日々でした。
1か月後、告げられた病名は「縦隔原発びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫」血液のがんでした。
このしんどさに理由があったことに少しほっとしました。「原因がわかればなんとかなる」そんな思いでした。
はっきりしたことが分かるまで、元気なふりをして仕事していたので、入院が決まって病室に入ると緊張の糸が切れてしまったのか、体中の力が入らなくなり、毛布は鉄板のように重く感じられ、お手洗いすら自分では行けず、車いすで連れて行ってもらいました。肺には水が溜まり、体を動かすたびに咳が出て。とにかく苦しくて、ナースコールを何度も押していました。
腫瘍のできた場所や色んな条件が重なり、手術は難しく、放射線を当てることもできない。「抗がん剤治療しか方法はない」と言われて始まった治療は、月曜日から金曜日まで昼夜連続、睡眠中もずっと抗がん剤を体に入れ続けるというもの。1日1リットル、5日間で5リットルの抗がん剤が私の体へ流し込まれました。
最初の2週間は特に苦しみました。40度の熱が続き、寝るに寝れない、起きるに起きれない。起きているのか、寝ているのか、あっという間に体重が5キロ落ちました。
「とにかく楽にして」「これがずっと続くなんてムリムリムリ」我慢することにも疲れ、この状況を打開する方法はないのか。
SNSを見ると、たくさんの人が応援メッセージをくれていました。その中でふと目が留まったことば「余儀なくされた入院時間は、人生を思い巡らす機会」
ここから出たとき、私は何をしたい?
「しゃべる」仕事を続けたい。そう強く思いました。
その思いに気づいてから、復帰できる方法を必死で考えました。体調が落ち着いたときには、屋上に行って発声練習を始めました。息をいっぱい吸って「あー」と言い続けるロングトーン。元気なときは1分くらいできたのに、11秒しかできなくなっていました。
「元に戻すのにどれくらいかかるだろう」不安も大きかったけれど、声を出すのも筋肉だから「筋トレすれば戻る」屋上に本を持って上がって音読したり、屋上までの上り下りは階段を使って。とにかく落ちるものが落ちないように。動けるときには、動くように。
同時に、治療の記録を取ることも始めました。いつか自分の経験を話せるときがくれば使えたらいいな。そんな思いでした。つけ始めると「私の調子が悪いのは首から下の体だけなんだから心まで病気になってちゃだめだって」そう強く思うようになりました。「とにかくしんどい」としか思えず、靄がかっていた私の心が少しづつ晴れていきました。
そして5か月後、退院と同時に仕事復帰しました。
それから6年が経ち、現在も経過観察中。
多くの人が持っている「がん」の知識にはまだまだ偏りがあるのかもしれない。仕事を続けられるのに「がん」というだけで責任ある仕事を任せてもらえなくなったり、がんになったというショックで自分から辞めてしまう人も多いと聞きます。「がん」をひとくくりに捉えず、病気をちゃんと理解して付き合ってほしい。そんな思いで「がんについて話す」講師を始めました。
いま、5か月の入院生活を振り返って思うこと。病気なのは体。心まで病んでしまうと、治るものも治らなくなっていたかもしれない。
でも、心がしんどいときには、体は元気でも心は元気にならなくて。体って心に引きづられちゃう。心の力ってそれくらいすごいんじゃないかな。
コップに半分の水が入っているとき「半分しか入っていない」「半分も入っている」どちらも考え方次第。
私の髪の毛は、抗がん剤の副作用で脱毛し、元には戻らないみたい。これからのウィッグ生活を楽しく過ごせるかどうかも私次第なんだって思ったら「思いっきり楽しまなきゃ!」そう思っています。
writer:Naka Kokoro