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2023年、子宮肉腫が判明し、抗がん剤治療を行う。
現在も治療と向き合いながら、優穏空間Selfcare Labの代表を務め、職場のメンタルヘルス研修の講師として活動している。
2022年12月に子宮筋腫のため、子宮と卵管を摘出しました。直前の検査で「がんではない」と診断を受けていました。
しかし、取りだした子宮を見た先生から「今まで見たことのない感じがする」と言われ、病理検査へ出すこととなりました。そして検査の結果「子宮肉腫」と診断を受けました。
私は医療関係の資格を持っていることもあり、名前を聞いてすぐに病気の詳細が頭を駆け抜けました。子宮肉腫=悪性であること、希少ながんであり予後がよくないこと、治療法も限られてくるだろうということ。
さらに詳しく検査すると、肺への転移も見つかりました。
私にとって抗がん剤治療と向き合うことはとても勇気のいることでした。今までに色んながん経験者の方のお話を聞いたり、本を読む機会があり、副作用で苦しんでおられる様子を見聞きすることが多かったことが影響していると思います。浮腫やしびれで日常生活にも影響している様子や、脱毛による容姿の変化などを目の当たりにし、私がその変化を受け入れられるだろうか。大きな不安としてのしかかりました。
私は研修の講師をしています。髪の毛をきっちりまとめて、ぴしっとした姿で人前に立つこと。張り詰めた緊張感とともに活き活きできる大好きな仕事です。
この道でやっていこうと決め、立ち上げから数年が経ちました。研修に参加してくださった方が「私たちの所でもやってもらえませんか?」と声をかけてくださるようになり、少しずつ依頼が増えはじめてきた。種まきが終わって少しずつ花が咲き始めてきている。病気が見つかったのは、そんな手ごたえを感じ始めていたときのことでした。
抗がん剤治療をすると、自分の思う姿でいられなくなる。講師として人前に立てなくなる。大好きな仕事を手放すことになってしまう。そう思うと抗がん剤治療と向き合うには少し時間がかかりました。
そして抗がん剤治療が始まると、不安はすぐに現実になりました。何もしていなくてもぽろぽろと抜ける髪の毛。私は子どもの頃から髪の毛にとてもこだわりがありました。小学生の頃はおさげの高さがぴったりそろっているか、分け目がちゃんとまっすぐか。一日に何回も聞くので家族が呆れるほどでした。
大人になってからもその思いは変わらず、髪質にも艶にもこだわっていました。
遠くから見ても髪の毛で私とわかると言われるほどでした。そんな私の大事な髪の毛が抜けていく。
抜け始めは特につらかった。指にからまり、するすると抜けていく髪の毛を見ると涙が止まらなかった。
とめどなく抜けつづける髪の毛としっかりお別れをしようと決め、家族がいないときに「お別れ会」をすることにしました。
床にシートを敷いて、ケープを着て。櫛ですくと抜けていく髪の毛に「今までありがとう。また会おうね」と、感謝を伝えました。たくさんの髪の毛が抜けていったけれど、心はすっきりしていました。
髪の毛との別れはウィッグとの出会いでもありました。病気をきっかけに知り合った友人が、すごく自然にウィッグをつけていました。副作用で髪の毛が抜けたことを伝えると「私が使っているウィッグはここで買ったんだよ」とリネアストリアを教えてくれました。なるべく自分の髪型と近いスタイルを選び、勇気を出して注文しました。
届いたウィッグをさっそくかぶってみると、まるで前の私に戻ったようでした。「やったー!これで研修講師を続けられる」心からそう思うことができました。
私には先延ばしにしていたけれどずっとやりたいと思っていたことがありました。娘との二人旅です。
娘が小さいころは、一緒に出かけてもあれこれ気を回さなければならず、自分のことはいつも後まわし。楽しいんだけど、疲れの方が大きくて。高校生になった娘と旅行に行ってみたい。そう思いつつも、大きくなれば時間を合わせるのが難しく、叶えられていなかったことでした。
病気が見つかり「やりたいことをやる」と決めた私は、娘との旅行を計画しました。
旅は想像以上に楽しいものでした。自分の遺伝子が入っているからか、行きたいところや見たいものが一緒でノンストレス。身体も心も満たされる旅となりました。
娘も楽しみにしていてくれたようで、事前に色々と調べてくれていました。入り組んだ細い路地の先にあるおしゃれなカフェや、有名なオムライスのお店など。オムライスのお店では、プルプルのオムレツが出来上がるのを目の前で見ることができ、目でも舌でも幸せを感じることができました。
私のお気に入りの場所、瑠璃光寺五重塔にも行きました。お天気も良く、梅の花が見頃でした。そこで娘に一つお願いをしたんです。「近くの公園の野原で、レジャーシートを敷いて寝転がりたい」娘は快くOKしてくれました。太陽の光が降り注ぐ野原で二人で横になりうーんと背伸びをしました。のんびりひなたぼっこ。一人では勇気のいることだけど、娘と一緒だったので安心してできました。旅の途中でもさりげなく私の荷物を持ってくれたり、大きくなったんだなと改めて実感できました。何より娘が私の希望を「いいよ、いいよ」と叶えてくれたことがとても嬉しかった。娘と一緒だったからできたことばかりで、本当に感謝しています。
治療とうまく付き合いながら、仕事にも復帰しました。依頼された研修を行い、順調だと思っていました。
しかし、2023年の年末、左肩から左腕にかけて激痛が走りました。痛みは日ごとに増し続け、1月2日には涙が止まらないほどの痛みとなり救急に駆け込みました。痛み止めをもらい、1月4日に再度受診するとそのまま入院となりました。検査の結果、頸椎骨転移による首の骨折が判明しました。
食べたいものを食べ、やりたいことをやり、旅行にも行き、本当に元気に過ごしていたんです。入院は1か月にも及び「いつ何が起こるかわからない」そう感じた年越しとなりました。
退院したものの次の入院も決まっており、自宅で過ごせるのは4日間。それでも一日一日がとても充実しています。退院した日は夫と娘が手厚くサポートしてくれました。まるで私を取り合うかのように。
病気になって一日一日が当たり前じゃないんだと強く思うようになりました。しんどいときは投げやりになってしまうこともあります。でも、どんなことがあっても、自分を大事にし続けたい。最後まで自分を愛し続けたい。そんな思いが強くなったように思います。
娘との旅行からちょうど1年が経ちました。この1年本当に色々なことがありました。いいこともたくさんありましたが、つらいこともありました。
また娘と旅行に行く予定を立てています。次の行先は私の生まれ育った場所。私がアルバイトをしていたコーヒーとカレーの美味しいお店に行ったり、観光をする予定です。
家族との時間が、本当に愛おしく尊いと感じています。次の旅行も楽しんでこようと思います。
writer:Naka Kokoro