TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。美香「今日、明日を大切に」

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着用ウィッグ:リラックスウィッグ ミディ

故郷を離れて大学生活がスタートしたがクローン病に。卒業後は、保育士として働き、結婚、出産を経験。
仕事に復帰したが、がんと診断された。
自分との約束を掲げ、自分と向き合いながら、大切な人たちへの感謝の気持ちを伝えている。

2024年の夏

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翌春の、娘の卒園式の服を早めに準備して夫に託しました。直腸がんの再発と転移、余命半年という宣告を受けて、自分はそこにもういないかもしれない、と思ったからです。

2025という年も、私は迎えられないかもしれない。卒園式、入学式、お花見、運動会。当たり前に、自分がそこにいると思っていた風景に私はいない。
それはとても残酷な想像でした。

私は淡路島で育ちました

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山と海が近い大自然の中で、私はのびのび育ちました。1998年に明石海峡大橋ができてからは本州に出るのが格段に便利になりました。

高校生の頃、ちょうどエビちゃんモエちゃんブームで、部活の遠征で橋を渡って神戸に出て「これ雑誌に載ってた服だ!」とか買い物を楽しんでいました。ブレザーに赤いチェックのスカートの制服がお気に入りだった、私の高校生時代。

私と保育士

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母が保育士なのもあってか、子供の頃から「保育士になるんだ」と決めているようなところがありました。中学の授業の一環の職業体験ウィークの時も、「絶対保育士だな」と保育園を選んでいましたし、母と保育について熱く語り合ったり、大人になってもこんなに真剣に取り組める仕事っていいなと、子供心に憧れていました。

大学も、保育士の資格がとれる兵庫の大学に進学しました。生まれて初めて、淡路島を離れての生活が始まりました。でも入学直後から体調が悪くて、夏休みに病院に行くと「クローン病」と診断されました。
クローン病は消化器官に炎症や潰瘍ができる病気です。私の場合はすでに腸に穴が開いていて、即入院・手術が必要でした。父はすごく心配して、「難病なんだから無理せず帰ってこい」と心配してくれましたが、私は諦めずにそのまま勉強を続けました。
保育園での卒業実習最終日、園児たちに自分の病気のことを話す機会をいただきました。「先生はこういう病気でね、食べられるものも限られているけど、元気でいるために苦手な茄子やピーマンでもがんばって食べているんだよ」と伝えると、「野菜もちゃんと食べる!」と答えてくれる子がいて、とても嬉しかったのを覚えています。

卒業後、最初は淡路島で臨時職員の保育士として5年間働きました。その時は帰宅すると母と保育について話すのが日課でした。私も熱く語ってしまうし、母もそれに応えてくれる。「もっとああしたい、こうしたい!」とか、「この箱は遊びに使えそうだからとっておこう」とか。臨時職員だとどうしても保育の補佐ばかりなので、各自治体の正職員試験をずっと受けていたのですが、念願叶って正職員の保育士になり西宮市へ。淡路島と本州と、行ったり来たりですね(笑)

急転直下

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再発と転移が見つかり、「余命半年」だと告げられました。告知の瞬間、頭が真っ白になりました。なんで私なんだろう、まだ小さい子供2人と夫を残して。もっともっとやりたいこと、してあげたいことをいっぱい思い描いていたのに、どうして私だけ、突然途切れるように断たれるように、一緒にこの先も歩んでいけないのか。そう考え出すと悲劇のヒロインではないですけど、どこまでも気持ちが沈んでいきました。

再発の治療では脱毛も始まりました。「髪の毛なんて…」と思おうとしても、抜けていく髪に涙が止まらず、「病気になっても可愛い自分でいたいです…」と、泣きながら主治医に本音をぶつけました。
いつも頼りにしていた看護師の方が、ご自身の治療中のウィッグの写真などを見せてくれたこともあり、リネアストリアのウィッグを知りました。夫も母もウィッグの購入を後押ししてくれて、「これ以上、自分で自分を不幸にするのはやめよう」と、少し前を向くことができました。

娘の卒園式の服を準備したのもこの頃。紺色のジャケットにリボンの装飾がついたワンピース。紺を選んだのは私のスーツと紺でお揃いにできればという微かな希望でした。でも、これを着ている娘の隣に私はいてあげられないかもしれないと、小さな服を抱きしめて泣きました。夫は「娘の髪の毛を可愛くするのが好きって言ってたやん。俺にはできないからしてあげてよ」と言ってくれて、「私も卒園式に行くんだ」と心を強く持てたのです。

自分との約束

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その時に自分自身と約束をしました。
「自分で自分の限界を決めない事」「自分が一番、自分を幸せにする事」「自分のご機嫌をちゃんととる事」
ネットの悲観的な情報にも負けたくないし、自分で自分自身を諦めたくない。長生きして可愛いおばあちゃんになってやる!って。

運動会、生活発表会がすぎて2025年を迎え、そして春の卒園式。ちゃんとその風景に、娘とお揃いの紺のスーツ姿の私がいました。さらに「桜の木の下でランドセル姿の娘と写真を撮る」「入学式の日に手をつないで一緒に登校する」という夢も叶いました。次はディズニーシー、ハウステンボス、沖縄に行く!と、どんどん「お楽しみリスト」に付け加えている欲張りな私です(笑)

あなたへ

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子供達には、このまま元気で優しい人に育って欲しいなと思います。
私が副作用で辛そうにしていると、「僕が大人になったら優しくて面白いお医者さんになるんだ。だって、笑ってる方がママの病気をやっつけるパワーになるでしょ」と言ってくれる長男。
長女も「なんでママのお薬はママをしんどくするの?私がいつか、ママがしんどくならない薬を作ってあげるから」と言ってくれます。まだ小さいのに、病気のこと薬のこと、ストーマのこともウィッグのことも理解していて、街中で「あ、ヘルプマークだ!」と気付いてあげられる、2人とも本当に優しい子だと思います。大人になっても、困っている人に寄り添える、そんな優しい人でいてくれたら嬉しいです。

私がずっと母をみて保育士を夢見たように、あなた達にも、今の私達のこの時間が、なにか意味あるものになればなぁと思います。幼くして大きな病気に出会ってしまったのは嫌なことかもしれないけど、でも叶うなら、それをプラスに変えてくれたら。

2025年4月26日

また明日、あの橋を渡ります。
子供達を連れて淡路島の実家へ。パワフルな私の母がきっとまた子供達を元気に遊ばせてくれるでしょう。
思えば高校生の時、正規職員の保育士として就職した時、結婚した時、私は何度あの橋を渡ったのだろうと。そしてその頃の私は、いったいどんな私だったのだろう、そんなことも考えます。
そして明日、あの橋を渡る、今の「私」は。

今の私

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「毎日を笑って過ごしたい」「また明日、朝が来るのが楽しみ」「毎日がボーナスステージ」

病気を通して、辛さや怖さと向き合いながらも、大切な人達の支えがどれだけ大きな力になるかを実感しました。
誰かに頼ること、素直に気持ちを伝えること、自分の本音を大切にすること。それらすべてが、今の私を形作っていると感じるのです。

これからも不安が消えることはないけれど、それでも私は、この愛おしい今日、そして明日を大切に生きていきたい。今日も誰かの記憶に、笑顔の私が残っていたらすごく嬉しい、そう思うのです。

writer:Higuchi Sakura

メッセージ

ウィッグとの出会いが、私に力を与えてくれ、笑顔を取り戻させてくれた。どんな時もかわいい自分でいることをあきらめない。自分で自分を幸せにする。たった一度の人生。ウィッグと共に新しいこの人生のボーナスステージをおもいっきり笑顔で楽しむ