TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。まこて「努力や経験は必ず自分の力になる」

大学入学のタイミングで、0歳から続けていた競泳からトライアスロンへ転身。その後、悪性リンパ腫(ステージ4)が発覚。 抗がん剤治療と並行しながらトライアスロンの練習に参加、表彰台を目指す。

もっと高い所で

まこて様の写真
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2020年の大学入学と同時に、0歳から18年間ずっと続けていた競泳を辞めてトライアスロンに転身しました。学校とバイトに通いながらほぼ毎日練習をしています。一度やると決めたからには中途半端なことはしたくないし、結果を残したい。“普通の人”にはなりたくなくて。そんな気持ちで競技に挑んでいた最中、悪性リンパ腫であることが発覚し、思うように競技が出来ない1年間を過ごしました。だけど残りの2年は全力で頑張って絶対に表彰台へ登るのが目標なんです。卒業後もトライアスロンを続けていくために。

トライアスロンに転身した理由は、もっと高い所で戦いたかったから。小さい頃からずっとスポーツを続けていて、中学では陸上部の練習に参加したり、高校生の時には競泳でインターハイにも出場しました。本当はスイムとランだけのアクアスロンをやりたかったけど、試合があまりないから「じゃあトライアスロンをしよう」と思って。試合ではオリンピックディスタンスと呼ばれるスイム、バイク、ランの合計51・5キロメートルの距離を競い合うんです。

私はこんなに元気なのに

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ある日の授業中、保健室から一本の電話が。なんで急に?4月の初めに受けた健康診断の書類に不備があったのかな?そう思いつつ電話に出ると「落ち着いて聞いてくださいね。実は……腫瘍と思われるものがありました」と言われて。この時の気持ちを表すなら「??」です。なぜなら、私は腫瘍に対して“死ぬほど痛くて動けないもの”というイメージを抱いていたのに、全くの無症状だったから。

そして検査入院の結果、お医者さんから悪性リンパ腫、しかもステージ4だと告げられました。悪性リンパ腫とは血液がんの一種で、リンパ組織の細胞ががん化してできた悪性腫瘍のことをそう呼びます。病院には母親がずっとついてきてくれていて、最後の診断の時は父も駆けつけてくれて3人で話を聞きました。それでもやっぱりお医者さんの話を聞いてるあいだも実感がないし、まさか自分の体の中に腫瘍があるなんて全く信じられなかったんです。「何言ってるんだろう。誤診じゃない?私はこんなに元気なのに……」と、最後の最後まで診断結果を疑っていました。

今しか出来ない ことを

まこて様の写真
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治療が決まり今までと同じように競技が出来なくなることはもちろんショックだったけど、ずっと落ち込んでいるだけじゃ何も始まらないから「逆に今しか経験出来ないことをしよう」って考えたんです。一つ目がヘアドネーション。元々病気になる前から、成人式まで髪を伸ばしてヘアドネーションしようって考えていて。時期は少し早まったけど実現することができました。二つ目は人生初のヘアカラー。ヘアドネーションしてから2日後に美容室へ行き、無難な色じゃなくてどうせなら派手にしたいと思ってベリーショートの髪を緑やピンクなどの派手な色に染めてもらいました。三つ目は坊主頭。抗がん剤の副作用で脱毛すると聞いた当初は不安もあったけど、モデルの女の人が坊主頭にしたというニュースを偶然見かけて「えー!めっちゃかっこいい!」と一気に惹き込まれたんです。普通の坊主はつまらないしせっかく坊主にするならかっこよくしたくて、バリカンでラインを描く“レザーアート”をしてもらいました。この頃は、病気や治療に対して「治るだろうしきっと大丈夫でしょ」とどこか軽い気持ちで考えていたんです。

“普通の人”にはなりたくない

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本当は治療が始まってからも練習に参加したり、世界のトップレベルの競技を見るために東京オリンピックのボランティアもしたかったんです。だけどいざ治療が始まるとそんな甘いものではありませんでした。抗がん剤治療の後は吐き気がひどくて、水すら飲み込むのが怖くて。薬の影響で手足がズキズキと痛んで、力も入らなくなってしまいました。治療中も出来る範囲で練習をしていたけど、突然お腹が痛くなるのが怖くて走れなかったり、点滴を打った血管に水が当たるのが痛くて泳げないこともありました。オリンピックのボランティアも、体調がどうなるかわからない状態では参加できなくて。

何よりも、試合に出られないことが私にとって一番の衝撃でした。これまで練習を休むこともほとんどなかったのに、練習に参加出来ないせいで皆との差がどんどん広がってしまう。皆ができることが自分には出来ないのがもどかしくてたまりませんでした。チームメンバーのレースを見ていると、試合に出られないという現実を突きつけられたような気がして。当たり前に出場できると思っていた試合があるたびに「自分がこのレースに出ていたらもっと結果を出せたのに」って色々考えちゃうんですよね。ありきたりな言葉かもしれないけど、私にとってトライアスロンは生きがい。それが出来ないなら自分はただの“普通の人”になってしまう。病気になったことよりも、競技が出来ないことに対しての焦りの方が大きかったんです。

自分の気持ちと現実との葛藤で心が体に追いつかない中、病気のことを打ち明けた友達からの「尊敬してるよ」「頑張れ」という応援に背中を押されました。同じクラブチームの先輩が日本選手権で2位になり、おめでとうございますと連絡したら「あなたが頑張ってる姿が、私の頑張る原動力になったよ」というメッセージをくれて。自分の頑張りが誰かの力になれたことがすごく嬉しくて「今私が進んでいる道は間違えていない」と再確認できたんです。ある日見かけたニュースで、自分と同じ悪性リンパ腫になった海外の選手がオリンピックに出たことを知って「今のどん底からあと2年頑張って、きつい競技でトップになれたらかっこよくない?」そんな気持ちが生まれたんです。きっと自分もなれる、そう思いました。それからはどんなにきつい治療も前向きに頑張れるようになりました。ただただ“きつい”という気持ちだけで何もしないまま過ごしていたら、振り返った時自分の中には“きつかった”という感情以外何も残らないと思うんです。病気を克服したのに競技で中途半端な結果しか残せていないなら、それはただ病気になった普通の人です。私は、“普通の人”にはなりたくない。病気を克服して、本気で練習を頑張って、どん底から結果を掴んでこそかっこいいんだと思います。

ピンチは他の人と違う経験が出来るチャンス

まこて様の写真
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競技に遊び、勉強と、いろんなことが出来る大学2年生の時にがんになってしまった現実。だけど見方を変えれば、病気にならないと出来なかったことや気づけなかった感情もたくさんあったんです。「今の自分に出来ることは何だろう」「このタイミングで病気になったのはどんな意味があるんだろう」。治療中はそんなことを考えていました。

ピンチこそ、他の人と違う経験が出来るチャンス。努力や経験は必ず自分の力になる、私はそう思っています。

writer:Higuchi Sakura

メッセージ

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