TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。ここあ「やらない後悔よりやって後悔したい」

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着用ウィッグ:HEART BEATショート

小学生のころに抜毛症を発症。自身が抜毛症であることを受け入れられずにいたが、2年前にスキンヘッドモデルをしたことがきっかけで、気持ちに変化が訪れる。

抜毛症とともに生きる

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自分の髪を抜いてしまう。「やめたいのに抜いてしまう」そんな自分が嫌いだった。20年、人生の半分以上私が苦しんできたのは「抜毛症」という病だ。周囲から「いつになったらやめるの?治す気はあるの?」と言われ続け、我慢が限界に達して大喧嘩に発展したことも。「こんな頭嫌だ」と憂鬱な気持ちになり、消えてしまいたいと、思いつめることもありました。

はじまりは小学5年生の授業中に頭をいじっていたとき。くせ毛を見つけて抜いた瞬間の痛みが気持ちよかった。縮れた毛や白髪を探し出すのが一種の遊びみたいで楽しかったのもあるかな。気がついたらクセになっていて、家族や同級生から床に落ちた毛を指摘されても「何のこと?」って不思議に思っていました。

それが今でも続いていて、強迫性の抜毛症と診断を受けました。今は自覚があるけれどやめたくてもやめられない状態です。
症状が出て一年が経った頃には、抜いた部分の頭皮が目立つようになりました。地毛では隠しきれずにウィッグを使いはじめました。

時期を共にして母とメンタルクリニックへ。カウンセリングではおじさんの先生に「学校で何か嫌なことがあったの?」と聞かれるんです。私は「わかりません」「特に何もありません」と答えるだけ。

本当は自分で抜いているって気づいてた。塾に行くのが嫌でその前になると抜きたい衝動が出てくることも。本当のことが言えたらどんなに楽だったんだろう。「こっそり、抜いているんでしょ」「いつになったらやめるの」って怒られるんじゃないかと勝手に想像して、本音が言えませんでした。
毎月同じことの繰り返しで、状況がよくなるわけもなく。自然と足が遠のいていきました。

自分を偽らないでいられる場所

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進学した中学校は、よその小学校から来た子が8割くらいで、疎外感がありました。一から友達を作る必要があり、新しい環境に馴染めずにいたんです。
そんなとき、クラスで「髪の毛が落ちているから掃除大変だ」と嫌味を言われたことがあったんです。そのときからどう思われているか怖くなり、クラスでは誰とも目を合わせない、話さないようになりました。

一方で、入部したバレー部のチームメイトや顧問には自分で髪を抜いてしまうことを打ち明け、受け入れてもらえたんです。ここではひとりの仲間として見てもらえる。素の自分でいられるので思いっきり声を出したり、笑ったりできました。髪の毛のことを気にしなくていいから、バレーだけに集中できたんです。1年生代表に選ばれるほど打ち込んでいたこともあり、自然に症状は治まっていました。

高校に上がると環境の変化からか、再び髪を抜くようになりました。三歩進んで三歩下がっている、出口のない真っ暗なトンネルの中を歩いているようでした。

自分でもやめたいのにやめられない。抜かなくてすむようにと色々試してみました。私の場合、親指、人差し指、中指を使って抜いてしまうので、この3箇所に子供用のキャラクターがついた絆創膏を貼りました。子供用の絆創膏はカラフルなので、無意識に手が伸びたときに自分でも気がつくし、他人からの視線でも気がつける。そして、なにより髪の毛がつかみにくい。ただ水に弱いのが難点で、汗ですぽっと抜けてしまうんです。

試行錯誤の末、今は輪ゴムを手につけて抜きたくなったらパチンとはじく方法に落ち着きました。抜くときの痛みの代わりになって抜きたい衝動がスーッと治まるんです。
他にも手を遊ばせないように意識的に利き手に物を持つようにしたり、カウンセリングや塗り薬も試してみました。努力の甲斐あって良くなってきた。そんなときに突如現れる抜きたいという衝動。抗おうとすればするほど誘惑は大きくなり、結局は負けてしまう。

自分が動けば世界は変わる

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大学に進学し、卒業して社会人になっても状況は変わらず、自分のことを受け入れられずに責めてばかりいました。

そんなとき、たまたまSNSの投稿が目に留まったんです。髪に症状がある人向けのサイトを作るためにモデルを募集している内容でした。スキンヘッドでの撮影ということで、最初は「誰がやるんだろう?人が集まらないんじゃない」くらいに思ってたんです。でもウィッグじゃなくて「スキンヘッド」での撮影というのがどこか引っかかっていて、これは私にもできることだ。むしろ抜毛症の私じゃないとできないと思い、気が付いたらその日のうちにDMを送っていたんです。

小学校から帽子やウィッグを着用し、家族以外の誰にも外した姿を見せなかった。そんな私にとって、素の姿を出すことは勇気のいることでした。今挑戦しないと一生後悔する。それならやらない後悔より、やって後悔したいと覚悟が決まったんです。

同じ境遇の方の背中をそっと押せるかもしれない。自分の中でも何か変わるきっかけになればと思って撮影に挑みました。撮影のためにバリカンを使って丸坊主にしたことでより決意が固くなりました。

自分のままでいい

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撮影当日は集合場所に一番乗りしてしまったんです。緊張と不安でずっとお腹が痛かった。今なら帰れる。「逃げたい」という気持ちが湧いてきました。今更ドタキャンはと悩んでいるうちに時間になっていました。モデル撮影の仲間が集まったときには逃げたいという気持ちはなくなっていました。生まれて初めて同じ抜毛症の方と出会えたこと。「そうなんだ」って受け入れてくれる人は今までもいたけれど「そうだよね」って言い合える。あるあるで共感できることが何よりもうれしかったんです。

ありのままの姿で挑んだ撮影では、カメラマンさんやスタッフさんにかっこいいと褒めていただいて、とても自信になりました。仕上がりも素敵で、周囲の人やSNSなどでたくさんのうれしい反応をいただいたんです。スキンヘッドの私も意外と似合ってていいなと思えました。撮影を通して出会った同じ抜毛症の方と交流できたり、安心して自分を出せる仲間ができました。そこで話をしていると、抜毛症も含めて自分だからこのままでいいんだ。これが私なんだって本当の意味で受け入れられた気がしたんです。

それまでは、抜毛症は絶対に治さなければいけないと思っていました。
でも、撮影を終えてからは、無理に抜くのをやめなくてもいい。もし治らないとしてもフルウィッグで生活できてるからこのままでもいいやって。コンプレックスだった抜毛症も私の個性だと思えたんです。抜毛症のこと、自分のことを知ってもらえればと思ってライブ配信も挑戦中です。コンプレックスを持っててもいいんだよって人に伝えられたらいいな。

writer:Tatsuoka Yuki

メッセージ

髪がなくたって諦めないで!できないと思ってた結婚もできました。最初はコンプレックスでも今では個性。同じ悩みをもっている人たちに夢を与えるようになるのが今の目標です!