TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。アヤコノ「私もこのステージに立つんだ」

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着用ウィッグ:天使のクレッセントミディ

中学校進学をきっかけに抜毛症を発症。
拒食症や不登校など、さまざまな問題を抱えていた時期に触れた音楽に魅了され、音楽で生きていくことを決意する。ベーシストとして「東京パラリンピック2020」開会式の舞台にも立った。

17歳の夏、国立競技場

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私は東京パラリンピック2020開会式のステージに立っていました。

デコトラの扉が開いて布袋寅泰さんに続いて飛び出す。
布袋さんのギターに私のベースの音が重なる。テレビ画面を通じて世界中とつながっているけれど、コロナ禍で観客席は無人。

「私たちには翼がある」が、開会式のコンセプトで、演奏したのは「TSUBASA」。
翼。それは確かに、そうなのかもしれない。
だって、あの舞台に立っていた私はその5年前まで、学校にも行けず自分の部屋で引きこもる毎日を送っていたのだから。

小学生時代はカリスマ

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自分で言うんかい、って思いますが小学生時代はちょっとした「カリスマ」でした。
習い事のエレクトーンでは1年生で既に作曲をしていてそれがテレビで紹介されたり、全国大会に出場したりとか。
勉強でも他の子より早く課題を終わらせてしまうので、先生が私専用に難しい問題を用意してくれていたりもしました。

そんな調子だったので、周りの大人達も私をちょっと特別扱いしてくれる、聞く耳を持ってくれる、そんな小学生時代だったんです。周りの生徒達からも憧れの眼差しで見られていました。

歯車が狂った中学生

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そんな「無双」していた私でしたが、中学に入って歯車が狂ってしまうんです。

音大の附属中学に進学したものの、細かすぎる校則や他の生徒にペースを合わせなきゃいけない生活に馴染めなかった。

とにかく非効率、理不尽だと思うことが多すぎたんです。小学生時代なら先生達と話し合って解決できたかもしれないけど、そんな機会もなくて…自分を正しく理解してもらえない、とずっと感じていました。

抜毛症という言葉も知らなかった

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髪の毛を抜き始めたのはそんな中学校での授業中。課題をさっさと終わらせて暇だったんです。1本抜いてみたら気持ちがスッとした、というか。そこからだんだん髪を抜く手が止まらなくなっていった。この1本で最後、次ので最後、とは思うんです。でも、「もう1本だけ」って結局止まらない。

「髪が全部なくなるまで抜いたら、誰か私に気づいてくれる?」って、思っていました。私を正しく理解してほしい、私は本気で嫌なんだってことを示したかった。でも何も変わることはなく、次第に心も体も、苦しくなっていきました。

初めて、今日は絶対に学校に行かない、そう決めた日がありました。でも家では学校に行きなさいって言われます。あ、私お母さんが学校の先生なんです。それもあって母は当然行きなさいと。でも、私は行かない、絶対に!と言い張って。それで…家で大暴れしてしまいました。

鏡を割ったり引き出しの中を全部ぶちまけたり。きっと心が限界で、私はもう壊れそうだよって分かってほしかった、だから家の中を破壊したんだと思います。

結局その後不登校になり、音大附属から地元の中学に転校するもそこでもダメで、結局また不登校に。さらに拒食症にもなって体重が30キロ台とか。周りからは「今にも暴れだしそう」とか「獣みたいな目つきをしてる」って、言われていました。暴れすぎて部屋はドアも壁もボコボコ。そんな部屋で1日中引きこもっていた。12歳から13歳くらいの時です。

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1日中、部屋から出てこない私。母はすごく心配だったと思います。
昔は私を憧れの眼差しで見ていた同級生とかも「あいつ終わったな」とか思ってたんじゃないのかな。

でもそんなボコボコの私の部屋、真っ暗な布団の中で、私には光が見えていました。

音楽。その頃、星野源とかサカナクションの音楽に触れて、1日中彼らの世界に浸っていました。PCで見たライブ映像。ステージに立つアーティストの一挙手一投足に、大勢の観客が地響きのような歓声をあげる。

「私もこのステージに立つんだ!」真っ暗な布団の中で、私は音楽で生きていくと決めたんです。

転機

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その頃、母から音楽専門の高校があると聞きました。校則もゆるいし、個人を尊重してくれる校風だと。そこでそのオープンキャンパスに参加してみました。

するとそこで演奏したベースを先生が大絶賛してくれたんです。うれしくて毎週キャンパスに通ううちに、常連の生徒とバンドを組むようになりそれがまた楽しかった。

みんなで目と目を合わせながら演奏する、みんなの音が重なる。自然と私がみんなをリードする、みんなも頼ってくれる。エレクトーンで楽しかった頃が戻ってきたみたいでうれしかったなぁ。その頃は家でもずっとベースを弾いていました。

入学を決めて、高校生になったら仲間たちと学園祭でライブとかするのかな、そんな未来を想像していました。でも実際には、友達と一緒に過ごしたりバンドを組んだり、そんな「高校生活を謳歌する」ことはなかったのです。

アヤコノ様の写真

入学してすぐにコロナ禍、というのもありました。でも私の未来は劇的に変わっていきました。

きっかけはSNSにアップしたベースの「弾いてみた」の演奏でした。それが少しバズり、今度は海外バンドの演奏動画をあげたら、そのバンドのベーシスト本人が反応してくれてさらに鬼バズり状態になりました。
そこから、今まで憧れていたアーティストの人が直接DMをくれたり、音楽の仕事依頼が来るようになりました。ここからさらに急展開で、私が好きだったムジカピッコリーノ(NHKのテレビ番組)のレギュラーが決まり、16歳で上京して一人暮らしをすることになりました。

NHKだったり色々な出演やステージ、密着取材を受けたりもしました。そしてそれが、17歳の夏の国立競技場に繋がります。本当に奇跡というか、少し前まで部屋に引きこもっていた私を、何の力がここまで連れてきたの?と信じられないような毎日でした。

自分の足で

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周りからすると、この頃が一番華々しく見えていたと思います。大きな仕事が多かったし、メディアの露出もすごかった。
でも私にとっては、苦しくて必死にもがいていた時期でした。芸能事務所にも所属していない私はマネージャーもいないので、1人で現場に行って打ち合わせしたり雑談したり、お金のやり取りなんかも全部自分です。

業界の常識とかノリもわからないまま、どの現場でも馴染めずに隅の方で独りでした。下積みゼロで大きな仕事から始まってしまったから、自分の中でも「健全じゃない」というか、誇らしくない、そう感じてもいました。

真っ暗な自分の部屋から、突然国立競技場のステージまで舞い降りたみたいになったけど、私は自分の足で、一歩一歩、歩いていかなきゃいけないんだ、と思っていました。

私のスタイル

アヤコノ様の写真

18歳の時にバンドメンバーと出会って、ようやく仕事相手でもない、フェアな人間関係を築けた、同志を見つけられたのだと思います。
そんな人たちとの時間の中で、私はやっと「人間になってきた」、そう感じているんです。

自分の音楽、流儀みたいなものがはっきりしてきたのも実は最近なんです。それがどこから来たのか?って考えると、やっぱり私はあの頃だと思うんです。
真っ暗な部屋、布団をかぶって音楽だけに没頭していた日々。音楽への感受性が一番研ぎ澄まされて豊かになったのはやっぱりあの時間のおかげだと、そして今に至る、のだと思います。
ベーシストとしてお仕事をいただいても、以前だったら「何やればいいですか?」だったのが、今は相手が求めている音と私の好きな音楽をうまくミックスして、私も楽しめる、みんなも楽しませられる、そう思えるんです。

だから一周まわって、今が一番、ベースが楽しい、音楽が楽しい、そう思います。

writer:Nao Takamatsu

メッセージ

いろんな”わたし”になれるウィッグって最高にイケてる!ハッピーに生きよ〜