抗がん剤治療中の方へ抗がん剤治療ご経験者様エピソードDokoさま

抗がん剤治療
ご経験者様エピソード Dokoさま

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Doko

2018年11月に卵巣癌&子宮体癌が発覚。翌月よりTC療法+アバスチンにて化学療法をスタート。
2019年4月に寛解。現在は、再発防止のためのアバスチン単剤での維持療法中。

目次

Episode4

抗がん剤治療と脱毛

病理検査の結果が出るまで

病理検査の結果が出るまでの1ヶ月間。改めて自分の病状を知り震え上がりました。退院してからも肺の状態の確認のために週に1度通院していました。退院から2週間後の2度目の外来受診でのこと。「最終的な病理検査の結果はまだ出ていないけど、 腹水と胸水からは最終的にがん細胞が見つからなかった」と主治医から告げられました。

実は、この時初めて、もし腹水と胸水にがん細胞が見つかった場合、腹膜播種と遠隔転移によりステージが一気にⅠからⅣへと上がることを意味していたのだということ知りました。

入院前の1ヶ月間、みぞおちからのお腹の膨らみの原因は腫瘍が大きくなって内臓を圧迫していたためだと思っていました。当時、急激に体調が悪化したため、ネットで自分の容態を検索する余裕がなかったことが幸いして「このお腹の膨らみや症状は腹水では?」とか「胸水では?」などと疑うことが全くありませんでした。

入院中も、悪性の可能性が高い腹水、胸水が合計9リットル以上溜まって命が危なかったということは告げられていましたが、がん細胞が腹膜や肺へ転移することによる腹水や胸水の貯留があるなんて知りませんでした。ただ単に卵巣の腫瘍のせいで水が溜まったとしか思っていなくて。

卵巣腫瘍の場合、良性でも腹水が溜まることはあるので、水を抜けばそれで終わりだと思っていました。だから主治医から術後に再度腹水が溜まっていないかどうかを、しつこいくらいに確認していたことも不思議に思っていたし、看護師さんが胸水を何度も検査に出していたのも知っていたけど、それが何を調べるためなのか、気にも止めていなかったんです。とにかく、手術で腫瘍さえとってしまえば全てが終わると。

でもこの日、主治医からの「胸水からも腹水からもがん細胞は見つからなかった」という言葉に安堵すると同時に何だか気になって、ネットで調べてその意味を改めて知り、震えました。

卵巣がんにおいては、腹水が溜まり、腹水にがん細胞が見つかれば骨盤内の他臓器への転移を疑います。さらに、胸水が溜まるということは遠隔転移の可能性が高く、さらに胸水からがん細胞が見つかれば一気にステージはⅣになってしまうということでした。

そして、「腹水なし→腹膜播種なし」、「胸水なし→遠隔転移なし」ということが最終的に告げられても、安堵の気持ちよりもむしろ、「ヤバかったんだ、私はステージⅣの可能性があったのだ」という恐怖の方が急に強くなりました。入院中、何度も主治医から「経過が悪い」と言われたことの意味も、この時初めて理解したのです。大変な病気になってしまったんだと。

卵巣がんは、自覚症状に乏しくサイレントキラーと呼ばれていて、お腹が張る、お腹が痛い、食欲不振、頻尿などの何かしらの症状が出て来た時にはすでに進行している可能性が高いため、早期発見が難しいガンなのだと。

ただ、そんな時、術後の主治医からの「腫瘍は右の卵巣内に留まっていた」、「左の卵巣も子宮も綺麗だった」という言葉を思い出しては、呪文のように「私は大丈夫だったんだから」と自分に言い聞かせていました。そして、「腹水、胸水にもがん細胞は見つからなかった」であるならば、私の卵巣がんのステージ(進行期)は1A期(がんが片側の卵巣だけにとどまっている)に当たるはず。

治療の選択としては「ステージ1Aは化学療法対象外!抗がん剤治療をやらなくて済むかもしれない」この事実を知ってからというもの、病理の検査結果が出るまでは神頼みの毎日でした。仏壇と神棚とそしてお墓参りにも行きました。「どうか病理検査の結果が、がんではありませんように」、「もしがんだったとしても、ステージは1Aで確定し、抗がん剤治療をしなくて済みますように」と。そしてトイレの神様にも「今後の自分の生活を改めますのでどうか悪性ではありませんように」とお願いし、毎日トイレ掃除をするようになりました。

神頼みの理由

退院後に卵巣がんについていろいろ調べてからというもの、病理の検査結果が出るまで気が気ではなくて、「もしステージが1Aではなかったら?」ということばかりが頭をよぎりました。とにかく抗がん剤治療はやりたくない。というか、本心は脱毛が嫌だったんです。脱毛さえしなければ、抗がん剤治療はウェルカムだと。

吐き気や味覚障害などの副作用には耐えられる自信があったし、その症状は抗がん剤治療後から数日間と限定されている。でも、脱毛してしまったら生えてくるのに最低でも数ヶ月はかかる。当然、日常生活に支障が出てくるし、完全に元に戻るのは数年単位になってしまう。

神頼みの内容は、「病理の検査結果が良性でありますように」から「良性だなんて贅沢は言いません。悪性でも受け入れて治療します」に変わりました。だって、経過があれだけ悪かったんだから、良性を望むなんて高望みだと。でも「せめてステージは1Aで化学療法をやらずに済みますように」最後はこれだけ必死にお願いしました。

また、悪い方へと考えると自ら悪い運を引き寄せてしまうような気がして、ポジティブ思考へと変更。家族との会話でも 「もし化学療法やるとしたら」とか「もしまた入院することになったら」などの「もし〇〇だったら」はNGワードにしました。「私は化学療法はやりません。がんは進行していません。これからも今までと変わりなく元気に生活していくんだから」常にそう思うようにしました。それもこれも、ただ脱毛が嫌だという理由でした。

混乱の確定診断

手術から1ヶ月後。病理の検査結果が出たため病院に行きました。診察室の机の上には検査結果が記された書類が置かれていて、そこには、卵巣癌の子宮転移、もしくは卵巣癌と子宮体癌の重複癌であること。病期は卵巣癌、子宮体癌ともにⅠA期(子宮転移であれば、卵巣癌はⅡA期に)、そして今後の治療方針としては卵巣癌のガイドラインに沿って化学療法(TC療法と分子標的薬のアバスチン)を行う旨が記されてありました。この用紙を見た瞬間、ある一点に目が釘付けになりました。

「卵巣癌の1A期」

「良性を望むのは高望み、だからせめて1A期でお願いします」とトイレの神様にまで必死でお願いしていた病期が念願の1A期と書いてある。1A期ならば、化学療法はしなくて済むはずだったのですが、治療方針のところには「化学療法」と書いてありました。しかも、卵巣癌だけではなく子宮体癌とも。1A期なのに化学療法で、子宮体癌……

最初は耳に入ってこなかった主治医の説明も、我に返って聞き始めました。すると子宮体癌については、それが卵巣からの転移なのか子宮で新たに発生したものなのかは病理とのカンファレンスでも議論になったとのこと。ただし、腫瘍は右の卵巣内に留まっており、他への浸潤は見られず、腹水からも胸水からもがん細胞は見つからなかったので、転移と断定はできないと。あれだけ酷い症状が出ていたにもかかわらず、病期は1Aであり、予後は良いと。しかし、子宮にもがん細胞が見られたことで、病理検査でも見つけられないミクロレベルのがん細胞がまだ体内に存在している可能性も否定できないので、再発予防のために化学療法を行うということでした。

絶対にやりたくないと思っていた化学療法をやらなければならないと言われ、「でもステージ1Aだったら抗がん剤はやらなくてもいいんですよね?」と思い切って主治医に聞いてみたんです。すると、主治医は 「病理組織学的分化度は低分化でがん細胞の悪性度が高いものだ」とおっしゃいました。つまり私のがん細胞は、グレード3という最も悪質なタイプのためステージが1Aでも化学療法をやらなければ再発の可能性が高く、抗がん剤治療を3週間1度、6クールを行うことがガイドラインに則った標準治療であると。

抗がん剤治療をやるということは、また入院しなければならず、そして何といっても脱毛です。脱毛するということは、闘病生活が長くなるということを意味します。一度抜けたら、元どおりのロングヘアになるまで何年かかるのか。

すぐには「はい、わかりました」と返事ができずにいると、主治医からは「卵巣癌は再発しやすく、私の場合は胸水、腹水が大量に溜まったという経過が悪いこと、このまま抗がん剤治療をやらずに経過観察にした場合、再発してから再度治療するのは予後が悪くなりリスクが高い」と、抗がん剤治療をやるように説得されました。

絶対にやりたくないと思っていたとはいえ、卵巣がんは再発しやすいと言われたら抗がん剤治療をやらない選択肢はもうないな、と覚悟を決めました。

それから2週間後、再び入院し、3週間に1度、計6回の抗がん剤治療がスタートしました。

Episode5 抗がん剤治療と社会復帰