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看護師として充実した日々を過ごしていた際に、大腸がんが見つかる。肝臓にも転移しており、受けた告知はステージ4。
家族のサポートで「支えられる立場」を経験し、より患者様の気持ちに寄り添いながら、これからも看護の現場で働くと決意する。

看護師の私ががんに

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人の役に立ちたいと思い看護師になりました。 約30年、看護現場の第一線で駆け抜けてきました。そんな私の大腸にがんが見つかり、すでに肝臓にも転移しており受けた告知はステージ4。

思い悩む間もなく2度の手術と抗がん剤治療。いざ自分がなってみて経験した苦しみは想像を絶するものでした。患者様の立場に立っていた、痛みや辛さに寄り添っているつもりでした。でも、本当は何もわかっていなかった。そう気づかされたんです。

患者様の本当の痛みは分からないかもしれないけれど「どこまでもわかろうとする気持ち」を持ち続けること。それが患者様に寄り添うことだと今は思っています。

人を支えるのが好き

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小さいころから人のお世話が大好きでした。小学生の時、同じクラスにハンディキャップのある友達がいて、クラスのみんなでその子のサポートをすることになりました。その中でも特に私はトイレについていくなど生活面のサポートを任されました。運動会の徒競走では一緒に走ったりもしました。その子のゴールテープを切った時の達成感のあるキラキラと輝く笑顔は今でも忘れられません。「人のサポートをすることってこんなにやりがいのあることなんだ」と、すごく嬉しかったことを覚えています。看護師になったのはこういった経験も影響しているのかなと思います。

看護師になってからは小児科、神経内科、呼吸器科など様々な現場を経験しました。 病院の現場は看護学校での実習とは違い、瞬時の判断や、チームでの連携が必要とされました。緊張感や責任感が求められ、身体的にも精神的にもきつくハードな日々でしたが、患者様を「支える」ことは私の生きがいともなっていきました。

患者様の体調がすぐれないのかな?と感じた時に「どうですか?」と聞いてもすぐに本音が言える患者様って意外に少ないんです。そんな時は患者様にそっと触れてみるようにしています。触れることでお互いの体温が交わり、言葉にしなくても、わかりあえるのかなって。痛みや苦痛に立ち向かう患者様に寄り添いたい。そのためには心を開いてもらうことが一番なのかなって思うようになりました。

突然の告知

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看護師として思考錯誤をくり返しながらも、充実した毎日をすごしていた時、突然がんの告知を受けました。腹部に違和感を感じ、仕事の合間を縫って受診すると悪性腫瘍の疑いがあると言われ、即入院となりました。結果は大腸がんのステージ4。すでに肝臓にまで転移していました。何かあるかなとは思っていたけれどまさかがんとは。太陽も月もない真っ暗闇に突き落とされた気分でした。その時に初めて今までの充実した日々が燦燦(さんさん)と降り注いでいた太陽の光のように眩しく見えました。涙が止まりませんでした。

気づけば先生に「私ってあとどのくらい生きられますか?」と聞いていました。先生の答えは「まずは、目の前の手術に集中しましょう」と。今まで看護師として何度となく患者様に言ってきた言葉でした。今思えばそれすらもわからなくなるくらい取り乱し、動揺していました。そして、考える間もなく手術と抗がん剤治療が始まり、治療の辛さは自分の想像をはるかに越えるものでした。吐き気とだるさが襲いかかり身の回りのことが全くできずに、立つことすら容易ではなく、ぐったりしていました。

患者様が病気と向き合う姿を見て、人は弱い部分もあると感じていました。その弱い部分を支えられる看護師になりたい。支える自分は「強くあらねばならない」とそう思っていたのかもしれません。「支える自分がこんなことになり情けない」そんな思いも加わり心身ともにボロボロになっていました。さらに、体に残った大きな傷跡と抗がん剤による脱毛。今までの自分ではなくなっていく恐怖がありました。そんな自分を受け止める時間と強さが必要でした。

家族の支え

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そんな時に支えてくれたのは家族でした。 身の回りのことすらできなくなった私に、夫は「お姉さんのところで少し休んできたら?」と言ってくれました。そして、姉は何も聞かず私の療養を受け入れてくれました。夫や子供たちと離れて過ごす寂しさはありましたが、多忙な毎日から距離を置けたこともあり、少しずつ落ち着きを取り戻していくことができました。

告知を受けた時に、3人の息子たちへ病気のことを伝えるかどうかもすごく悩みました。私は心配をかけるから言わないでおこうと思っていたんです。でも夫から「家族だから伝えよう」と言われ、伝えました。

シェフである長男は私が食べやすいようにペースト状の食事を作ってくれたり。下の弟たちも私がしんどそうだなとわかると自分たちで食事を用意したりと、みるみる行動に変化がみられるようになりました。そして何より家族の会話が増えました。

幼い頃に夜勤で家を空け寂しい思いをさせてきました。けれども、病気になった私の様子を見て、支えてくれる姿はとても頼もしく、守られていると感じることができました。

「お母さんが元気でいることがみんな元気になることだから」と言ってくれた子供たち。その言葉や行動が、自分を取り戻し前に進む力をくれました。病気のことを息子たちに伝えて本当に良かったと思います。

ある日、散歩をしていると頬に暖かいそよ風を感じたんです。久しぶりに見上げた空は雲ひとつない青い空が広がっていました。「弱くたっていい」「弱音を吐いたっていい」そう言って優しくほほえみ、大きな腕で抱きしめてくれているようでした。人は自分の弱さを受け入れることができてはじめて、困難に立ち向かえる強さを手に入れられるのだと、今となっては思います。

「支える立場」と「支えられる立場」どちらも経験したことは、看護師としての大きな強みとなりました。これからも看護の現場で働き続けることは私の使命なのかなと。変わりゆく自分も大事に。そして関わる全ての人に寄り添い続け、弱さを見せてもらえる存在になりたいです。

病気になり、家族を悲しませてしまったと思い悩んだ時期もありました。でも、今生きられているのはもう少し私にできることがあるからだと信じています。私だからこそできることがある。そして、支えてくれる家族や周りの人たちと一日でも長く笑顔で過ごしたい、そう強く思っています。

writer:Yuki Tatsuoka

メッセージ

腫瘍も私の愛しい身体の一部。自分の身体と心の声に素直に。私を輝かせてくれる最強のアイテム。ウィッグで今日もスイッチオン