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小関史織「自分探しでたどり着いた"わたし"」

ウィッグは、わたしと咲く。ふじあこ「元気な姿の発信で、他の人も元気にできる 。」

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Twitter:koseshio0819

着用ウィッグ:天使のジェラートボブ

抜毛症をきっかけにウィッグと出会う。
育休中に「自分探し」のために資格試験などに挑戦。育休復帰後は、広報として仕事に励むかたわら芸大へ通う。
整理収納アドバイザー1級や顔タイプ診断アドバイザー1級などの資格を所持。

髪の毛を抜いてしまう

小関史織様の写真

10歳の時、髪の毛をひっぱって抜けると「すっきりした」という感じを受けたんです。「頭がかゆいからかく」くらいの感覚で髪の毛を抜き始めました。親からは「やめなさい」って言われたけれど、ダメって言われるほど隠れて抜いたり、抜いた毛を隠すことが上手になってしまって。毛根が取れた時は痛くて、それがまたすごい気持ちよくてさらにエスカレートしていきました。自分でも異常だなってわかってるけど、やめられない。まつ毛や眉毛が全部無くなった時期もありました。

病院へ行ったけど、苦しい悩みがあったわけでも、いじめられていたり、家が荒れているなど思い当たる理由がなかったので心療内科で治療するのもちょっと違うなという感じでした。ある時父が通っていたウィッグメーカーに一緒に行くと、そこにあった分厚い百科事典に2行だけ説明があったんです。「抜毛症、トリコチロマニア、髪の毛を抜いてしまう」と。この時に初めて「抜毛症」という言葉を知りました。「抜毛症・抜毛癖」と書いてあったこともあり「癖だから、心の持ちようだからそのうち治るだろう」って親は言っていましたね。

頑張って抜かない時期もあり髪の毛は戻ったりもしましたが、周期的にすごくひどくなる時期があり20歳くらいの時には髪の毛はもうほとんどはえなくなってしまいました。今は全然抜いてないけれど、白髪しかはえないのと、まばらなのとでウィッグなしでは生活は出来ないかなって感じです。

学生時代のこと

小関史織様の写真

小学高学年の頃、当時はまだウィッグではなく「かつら」と呼ぶのが一般的でした。売っているところも選べるものもほとんどなくて、そしてどれも高額でした。その中から一番安いものを買ってもらったけれど、色が真っ黒で襟足から少し茶色っぽい地毛が見えていたこともあり逆プリンみたいになって、学校ではいじられたり、嫌がらせをされたりしました。分け目のところを押されて「うける!何それ?」と言われすごく嫌だったなという記憶です。ウィッグをおさえるために使っていたピンも「位置おかしくない?」と言われたり、旅行に行くと「髪の毛洗わないの?」と聞かれることも。毎日同じ髪の長さだから「髪のびないね」って言われると怖いなとか、美容室の話題を振られたりするとつらいなと思っていました。

今思うと、この頃の私は「私のことなんて誰もわかってくれない」と殻に閉じこもっていました。わかってもらえないことが苦しかった。しんどかったなって思います。

夢は会社員

小関史織様の写真

学生時代の夢は「会社員になること」でした。家が自営業だったこともあり、自営業の大変さを目の当たりにして育ったので、働くことに義務感や責任感は感じていたものの、楽しみや夢は持てませんでした。大学は就職に強そうという理由で工学部の電気科に行きました。やりたいことがあったわけではなく、授業は毎日物理があって成績もあまり良くなく、勉強にはとにかく苦労しましたね。部活での人間関係が良くなかった時期もあり、学生時代は苦しかったなという記憶です。

就職は電気科の特権で簡単にできました。でも技術職で入社したのに1年経つと営業職に異動になったんです。英語もしゃべれないのに海外営業にされ、帰りはいつも終電間際でした。「頑張ってるね」って褒められても全然嬉しくなくて。仕事に楽しさも意義も感じられなかった。会社も仕事も好きになれなくて、毎日が辛かった。だから私は育児休業を利用し、休める限り休もうと決めました。

自分探しでたどり着いた「わたし」

小関史織様の写真
小関史織様の写真

育休期間の半分にさしかかった頃、ふと思ったんです。「子どもに楽しく働いてほしいから、私みたいな姿を見せてはいけない」と。ちょうど同じ頃、ママ友との出会いから今まで出会うことのなかった多様な人たちとの出会いが増えていきました。芸大卒の人からマジシャンの人まで、今まで自分が出会ったことのない人たちでした。「こんな世界があるんだ」と視野が一つ広がった感じでした。

知らなかった世界、初めて出会う人たちと過ごす中で「私の強みはなんだろう?」と考えるようになりました。仕事に復帰するまでの残りの期間で「自分探し」をしてみようと思いました。自己分析のテストを受けたり、経営学の勉強もしました。大学時代成績が悪かったから勉強は嫌いだと思っていたけれど、自分の興味があることを勉強するのは好きだなと気づくことができました。「自分が生きてきた道のりを記録に残したい」そんな気持ちであらゆる資格試験にもチャレンジしました。

そしてたどり着いたのは「抜毛症だけど元気に明るく、社会に出て暮らしている」これが私の強みだということ。
「隠しておくのはもったいない」と思いました。病気だからこそマイノリティの人の気持ちや苦労してる人の気持ちがわかる。これは私の武器だと思えたんです。

嫌われることを怖がらない

小関史織様の写真

それからの私は常に自分を幸せにすることを考えるようになりました。自分がどうしたいのか。どう生きたいのか。やりたいと思ってやることに対して嫌われることを怖がらなくていい。

そう思えるようになった私は、今まで会社のことが嫌いで、文句ばっかり言っていたけれど「悪い会社ではなかった」と気づくこともできました。そして「一回戻ってみよう」という気持ちになりました。同時に私みたいにつらい思いをして「つまんない」「苦しい」って思いながら働いている人を助けたいとも思ったんです。戻ってからもやっぱり営業の仕事は好きになれなかったけど、社内の複業制度で「会社の雰囲気を良くしよう!」というプロジェクトの事務局に入りました。そして自分の楽しいと思うことに積極的にチャレンジしました。人と人とをつなぐオンラインイベントや、社内の人を紹介するラジオなど。私的には「楽しいからやる」って感覚だったけど「会社辞めようと悩んでたけど頑張ってみようと思いました」と声をもらい、役に立てたんだと思うとすごく嬉しかった。誰かの励みになったことは私の中で大きな糧となりました。

「普通」なんてない

小関史織様の写真

私は「髪の毛がない」って言えなかった。だからこういう人がいるんだって伝えられれば誰かの励みになるかも?そう思ってFacebookでカミングアウトをしました。正直迷いもありました。「明日から私を見る目が変わるんじゃないかな」とか、病気っていうと異常者みたいに扱われるのかな?って。でも思った以上に「素敵だね」って言ってくれる人が多かったんです。特に同世代の女性から応援のコメントをたくさんいただいたことは私の勇気になりました。

自分のいた場所から外の世界に踏み出すと、見える世界の輪が広くなりました。そうすると自分のいた輪が小さかったことに気づけたんです。だからもし悩んでいる人がいるなら「一歩を踏み出してほしいな」って思います。そして、決して1人で悩まなくていいんじゃないかな。同じ気持ちの人がいるかもしれない。乗り越えた人からヒントをもらえるかもしれない。こんな人もいるんだっていう視野が広がる一歩になればいいなと思います。

writer:Naka Kokoro

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