TOPみんなでつくるリネアストリアウィッグは、わたしと咲く。akane「誰かの勇気になりたい。」

着用ウィッグ:ソネットショート

2019年6月に急性骨髄性白血病と診断され、緊急入院。 子供たちの頼もしい成長や、夫の支えを励みに闘病生活を乗り越え、臍帯血移植を経て2021年1月に本退院する。 治療の経過や日々の出来事などをInstagramで更新中。

当たり前のように考えていた未来

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高校生の頃「笑顔いっぱいの幸せな家庭を築くこと」それが一番の夢でした。旦那さんとはパートナーであり、親友であり、いつまでも何でも話せる関係でいたい。子どもができたら、兄弟みたいな、友達みたいなママになりたい。ずっとそう思っていました。

夫とは17歳くらいから一緒にいて、高校卒業と同時に妊娠発覚。母からは「自分一人でも育てるくらいの覚悟で産みなさい」と言われていました。覚悟はしていたけど、実際に子育てが始まると正直いっぱいいっぱいでしたね。夫が協力してくれても「私はもっと大変なのに、そんなんじゃ足りないよ」って、けんかばっかり。私が描いていたものとは少し違っていました。

子どもたちも多少手が離れ、少しずつ自分の時間もとれるようになってきた頃、いつもなら上がりきれる階段が休憩しないと上がれなくってしまって。体を動かすことが好きでジムにも通っていたけど、それにも行けない状態が増えてきて。動悸もするようになり変だなと思って病院へ行きました。ただの貧血だろう、くらいの気持ちでした。検査結果を聞きに行くと「すぐに大きな病院に行ってください」って紹介状を出され、大きい病院へ行くと血液検査に加え、骨髄液も取らせてくださいと言われました。

病院には夫や母がかけつけてくれたけど、私は「何が起こってるの?」という感じでしたね。心臓の音だけがみんなに聞こえるんじゃないかってくらいバクバクしてて、あんなに不安な時間を過ごしたのは初めてでした。そしてそのまま緊急入院。子どもたちのお迎えもあったので、とにかく一旦帰りたかったけど叶いませんでした。当たり前に過ごしてた毎日がこんなに一瞬で奪われてしまうんだって衝撃でした。

白血病と告げられて

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入院して数日後にお医者さんから白血病と告げられました。急性骨髄性白血病という病気のこと、これからの治療の説明を淡々と聞いていた気がします、まるで他人事のように。今思い返してみると「白血病という事実を受け止めると自分が壊れてしまう」と体が勝手に受け止めることをやめたんだと思います。

始まった治療は体に強い抗がん剤を入れ血液中の細胞を弱らせて、その後自力で復活するのを待ちます。薬が強く、悪い細胞だけではなく良い細胞も弱らせてしまうので、白血病の人は体の中に菌が入ることが一番怖いことなんです。なので食事は出来上がった後さらにチンされて出てくるので、ごはんもおかずも全部カピカピ。病室も菌が入らないよう常に空気を入れ替えているので部屋に空調の音だけが絶え間なく響いていて。シーツやパジャマは病院の独特なにおい。

細胞が弱ってくると無菌室に入らないといけなくて。無菌室は扉も二重で中は薄暗く、もちろん家族も入れない場所なので、とにかく私はそこに入りたくなかったんです。先生からは何度も「入ってください」って言われたけど断り続けてると、最後には「さすがにもう無理です」って言われて泣く泣く入りました。それも断れたのは最初の入院だけで、二度目の入院からは有無を言わせず無菌室へ直行でした。細胞が復活するまでの間は熱が出たり、色んな症状が現れるので、ただただ耐える。治療はとにかく辛い・孤独・怖いの3つでした

そんな中、2日に1回夫が届けてくれる洗濯物は家のにおいがして。それはもうすごく安心しましたね。治療中は気持ちの変動もひどくて、もういいって思う日もあれば負けたくないって思う日もあって。毎日葛藤がある中でも頑張れたのは「子どもたちの未来を楽しいものにする!孫を抱く!絶対に負けない!」っていう気持ちがあったから。それと、ずっと病院と家とを電話でつないでもらっていたことも大きかったかなと思います。子どもたちは「ママ今日学校でこんなことがあったんだよ」って話をしてくれたり、話すことがなくてもイヤホンからはずっと家の音が聞こえてくる。それはすごく支えになりましたね。

外に出れるくらい細胞が元気を取り戻すと私の病院では一時退院ができたんです。久しぶりに帰る家は夫がいつも持ってきてくれる洗濯物と同じにおいがしました。普段なら「汗くさい」って思う子どもの頭のにおいや、夫の枕のにおい、全てがいつも通りの日常に戻ってきたことを実感させてくれました。カーテンから入ってくる風のにおいからも季節が感じられ、全部夢だったのかなと思えました。夜、みんなが寝静まると病院に帰りたくないって涙が止まりませんでした。

会えない時間が強くさせた

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私の最初の入院の時、息子は幼稚園の年長さんで、その時はまだ幼稚園の準備を自分でできなかったんです。でも一時退院で帰ってくると用意は全部自分でするし、みんなの洗濯物をたたんでくれたり、寒がりな私を心配して「布団乾燥機つけといたよって」って言ってくれたり。すごく変わっていてびっくりしました。

入院中娘からは「寂しい」ってメールや、「ママいつ帰ってくるの?」と夜中に泣きながら電話がかかってくることが何度もありました。病気のことを最初は伝えないでおこうって思ってたんです。でも髪の毛は抜けてしまうし、明らかに入院生活も長いので「ママどういうことなの?なんの病気なの?」って不安にさせてしまって。ネットで調べればすぐに出てきてしまうことなので隠し続けるとさらに不安にさせるかなと思って、一時退院したときに「実はね」という話と、でも絶対大丈夫だから、ママ頑張るから、たのむよ!って話をしました。

それから娘はだんだん強くしっかりしてきて、ある日私にこう言ってくれたんです。「次は私が支えるから、ママ泣いてもいいんだよ。ママの子で良かった。ママ頑張れ」って。若くして産んでるし、至らないこともたくさんあったと思うけど、ちゃんと想いが伝わってたんだって思うと涙が出ました。娘は今小学6年生、「看護師を目指す」と言って頑張っています。私が病気になるまでは看護師のかの字も出てこなかったけど「次は自分が支えられるようになりたい」と目指す姿は、今の私にとても勇気をくれています。

変わらずにいてくれた

akane様の写真
akane様の写真

入院中面会はできなかったですね。以前だと一人くらいなら病室へ入ってくることができたみたいなんですけど、コロナの影響で一切叶いませんでした。家では家族がハロウィンやクリスマスと季節のイベントを楽しんでいるのに、私はずっと病院の中。寂しいのはもちろんなんですけど、自分だけ何もできない孤独感、悔しかったです。

そんな中、夫はいつも変わらずにいてくれました。前向きというかポジティブというか、私が落ちるところまで落ちても彼は絶対に一緒になって落ち込んだりはしない。治療中八つ当たりもたくさんしてしまったんです。「あんたは外にいるからわかんないじゃん」とか。それでも絶対に怒らない。会えなくても毎週子どもたちを連れて病室の下まで来て手を振ってくれたり、必要なものやその時に食べられそうなものを届けてくれました。そういうのが自分の中で大きかったですね。いつも変わらずにいてくれました。

臍帯血移殖をする当日も、仕事の合間に「下にきたよ」って連絡をくれて。私はもちろん病室のベッドの上で立つこともできないんですけど、「会えないけど、おれラウンジにいるから。終わるまで待つからね」って。移殖後数時間は容態が急変することもあるので、私が落ち着くのを待ってから「おれ帰る」って帰っていきました。

夫と会えたのは本退院できるってなった退院説明の時。会った瞬間もうほんとに安心。ただただ安心。普段だったら「パパくさい!おっさんくさくなってきた」って言ったりするんですけど、そのにおいが安心しましたね。

病気になって子どもに対する考え方、夫婦のありかた、自分の中で色んなことが変わりました。移殖をして今ちょうど1年。病気になって良かったとはまだ言えないけど、あと5年くらい経ったら言えるのかな。

私も誰かの勇気になりたい

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病気が発覚した時ってみんな絶望や不安しかないと思うんです。私も毎日お風呂で大号泣していました。だから泣きたい時はたくさん泣いてほしいって思います。落ちる時はどん底まで落ちていい、でもその後絶対這い上がってほしい。理不尽な死につながってしまう方もいるので、安易に頑張れって言葉はすごくきついと思うんですけど自分も経験したからこそ、頑張って、絶対負けないでって強く思います。

私もつらい時たくさん勇気をもらったので、私もこれから何十年と生きて誰かの勇気になりたい。こういう人もいるんだ、大丈夫頑張ろうって思ってもらえれば嬉しいです。

writer:Naka Kokoro

メッセージ

リネアストリアさん
ステキなお時間ありがとうございました。リネアストリアさんのウィッグのおかげで勇気と自信がもてました。私も誰かの勇気になれますように
ガンに負けない!気持ちで勝つ!!